イランを中心に、中東でメディア伝道を展開するミニストリーに寄せられた便りを紹介したい。どれほど深く暗い人生の谷間であろうとも、主イエスにあって難し過ぎる人生などない。これは、死の霊に取りつかれたような一人の少年が、いかに命に移されて変えられたのかを物語る驚くべき証しである。
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当時、私はまだ17歳でした。酒瓶が手から滑り落ち、目から涙を流しながら、最後にもう一度空を眺めました。そして50錠の精神安定剤を水に溶かして飲み込んで、静かに死が訪れるのを待ちました。全てが真っ暗になり、私は意識を失ったのです。
私が再び目を開けたとき、自分はすでに死んで、全てが終わったと思いました。しかし程なくすると、酸素マスクと点滴が付けられた自分が病院のベッドに横たわっていることが分かったのです。
ベッドのそばにいた看護師は、意識を取り戻した私に気付き、こう言いました。
「ああ良かった。お目覚めね。神様はあなたをとても愛していますよ。今朝は心臓が2回も止まってしまったけれど、神様はあなたを死なせなかったわ。AEDを使ってようやく生き返ったのよ。それで元気になって、やっと目を開けることができたのよ。それから清掃員にも感謝することね。彼らがあんなに早朝に、ゴミ箱のそばのゴミの中からあなたを見つけてくれたのよ。彼らがすぐにあなたを病院に連れてきてくれなかったら、今ごろ命はなかったでしょうに」
そう、私の人生は完全に絶望の淵にあり、この2年間ずっと自殺することばかり考えていたのです。私には人生に絶望するのに十分過ぎるほどの多くの理由がありました。まず、別居していた両親との関係が完全に破綻して、私は悲しくなるほど無力になってしまいました。そして大好きだった女の子を失ったこと。これ以外にもさまざまな理由が押し寄せたのです。
2日後、医師が私のところに来て言いました。「過度の飲酒と大量の薬の服用で肝臓が悪くなっています。一刻も早く肝臓移植を受けなければ、あなたはその若さにもかかわらず、すぐに命を失うでしょう」
母はこの知らせを聞いて、とてもろうばいしました。母は泣きながら必死に、ドナーとなる肝臓を探してくれたのです。しかし、この知らせを聞いたとき、正直に言えば、私はほっとしていました。「ああ良かった。願ったりかなったりだ」と心から言っていました。「今までずっと自殺を考えていたんだ。これなら自然に逝けるし、自殺という罪も良心の呵責も感じることなく、すぐにこの世を去って安らぎを得られるのだ」と。
私はまた、残された時間を使って、違法な手段で復讐することができないだろうかといつも思い巡らしていました。どうせすぐ死ぬのだから、破滅的に全てをぶち壊したいと願っていたのです。あいにくその機会には恵まれなかったのですが、私は周囲の人々や、幼い頃から恨んでいた多くの人々に、怒りや憎しみの全てをぶつけたのです。(続く)
■ イランの宗教人口
イスラム 37・2%
キリスト教 1・5%
無宗教 22・2%
ユダヤ教 0・02%
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