人生に絶望していた少年は、薬を大量に服用して自殺を図ったが、奇跡的に救われた。しかし、薬物と酒に溺れていた彼の肝臓はもはや使いものにならず、移植以外に彼が生存する可能性はなかった。彼は自分が死ぬことが分かると、むしろ安堵していたのだ。(第1回から読む)
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そして時は過ぎ、肝臓移植の手術を受ける日が来て、私は病院へ行きました。必要な検査を全て受けた後、医師は私にこう言ったのです。「なんということだ・・・君、自分の体に何が起きたのか分かるかい?」
「私はもう助からないのですか?」と私が尋ねると、医師はこう答えました。「いや違うんだ。奇跡が起きたとしか言いようがない! どういうわけか、肝臓は治っている。もう肝臓移植する必要がなくなってしまったんだ。だがしかし、今後は安静にして薬を飲み続けなければならないよ」
この状況に動揺し、失望した私は、泣きながら病院を出て、神に怒ってこう言ったのです。「なぜですか! あなたはなぜ私の命を奪わないのですか! 私に何を望んでいるというのですか! なぜこんなにも私を苦しめるのですか! あなたがどんな人間を生かしてしまったのかを、今日からあなたは嫌というほど思い知ることになります!」
その夜から、私は破壊的で神に反抗的な態度をとり始めました。暴力、盗み、詐欺、恐喝、あらゆる悪事に手を染めたのです。そう、私は完全にモラルも良心もない人間になり果ててしまったのです。これが何カ月も続き、私は数々の詐欺事件を重ねて、いつも街から街へと逃げ回っていました。
被害者の中には、私を殺して復讐しようとする者さえいました。私は薬物中毒と薬物乱用のために、持っていた全ての財産を失ったのです。その結果、私はイランを脱出し、欧州のある国に逃げることを余儀なくされました。そこで私は難民キャンプに受け入れられたのです。
キャンプでは、薬物なしでつらい夜を過ごし、毎晩死を願いましたが、結局死は訪れなかったのです。私は神に言いました。「私がどんなにひどい人間か、まだお分かりになりませんか? なぜ私の命を奪ってくださらないのですか? 私はもう生きるのに疲れ果てているのです」
その同じ夜、難民キャンプの隣人のモルテザという人が近づいてきました。私が疲れ果て、意気消沈しているのを見て、彼は私にゲストとして彼の家を訪問するよう勧めてくれました。それで彼の家を訪ねたのです。
夕食の後、彼は私に「僕の人生に起きたことを聞きたいかい?」と尋ねました。私は食い入るように「ぜひ聞きたいですね!」と答えたのです。彼は自分の子ども時代、孤独の中で育ったこと、そして友人が紹介してくれた神がどのようにして彼を救い、主なるキリストに導いてくれたのかを話し始めました。キリストへの信仰が彼の人生を変え、平安をもたらし、孤独と拒絶の苦しみを取り除いてくれたのです。(続く)
■ イランの宗教人口
イスラム 37・2%
キリスト教 1・5%
無宗教 22・2%
ユダヤ教 0・02%
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