ペテロがどのような死に方をして、神の栄光を現すかを示して、言われたことであった。(ヨハネ21:19)
イエスの一番弟子であるペテロは、自己保身のために「イエスを知らない」と3度否定してイエスを裏切りました。しかし聖霊を受けてからは、国家議会で創造主の神性と救い、癒やしを大胆に語るほど、死を恐れない純粋で真っすぐな信仰を持ち、使徒として死に至るまで忠実に主の働きを全うしました。ペテロがイエスを心から愛し、死にも勝る御国の希望を確信していたことが証明されました。
「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。御手を伸ばしていやしを行わせ、あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行わせてください」(使徒4:29、30)
イエスの名による癒やしと救いの福音を宣べ伝えることにより、捕まると罰を受け、死ぬかもしれない、危険を伴う宣教に命をささげたペテロの最期は、逆さ十字架刑による殉教でした。死に至るまでイエスに従い、誰よりも「イエスを愛します」(ヨハネ21:15)と主に誓った言葉を全うし、天の御国へ凱旋して神の栄光を現しました。
信仰の手本となる、使徒ペテロから学ぶことがあります。主は私たちが信仰生活において、いつも変わることのないイエスを見上げ、見習い、主の似姿にされていき、その結果として御霊の実を結ぶ者になることを望んでおられます。
イエスに従った結果として、その似姿にされていきます。それこそが、永遠の財産として残ります。「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です」(ガラテヤ5:22、23)
イエスの弟子であるペテロは、神であり師であるイエスに信仰で頼り続けた結果、御霊の実を結び、死に至るまでその信仰を全うすることができました。神は私たちにもペテロのように、神に信頼して従い、生活の中で御霊の実を結び、イエスの似姿にされていく者となってほしいのです。
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