イエスを、十字架につけるため彼らに引き渡した。(ヨハネ19:16)
十字架刑とは、処刑道具として木を十字形に組み、罪人をはりつけにし、最悪の苦しみの中で息絶えさせる残酷な極刑です。
イエスの負った十字架刑の苦しみは、計り知れないものでした。イエスは39回のむち打ちに耐え、肉が引き裂かれ、血が飛び散りました。いばらで編んだ王冠のとげは2〜3インチの長さがあり、イエスの頭皮に深く刺さりました。
イエスを殴るために使われた革のむちには、小さな鉄の玉と鋭い骨があり、玉は体の内部に打撲傷を負わせました。鋭い刃先は肉を引き裂き、イエスの筋肉、静脈は裂かれて出血しました。ほとんどの人はこの種の拷問に耐えられません。
ひどく打たれて傷ついた後は、群衆からあざけられ、ののしられながら、処刑場まで重い十字架を担いで歩いていくことになります。この道のりは、肉体的にも精神的にも過酷なものでした。
処刑場では、8インチの鉄のくいが手首と足に打ち込まれ、手首の腱(けん)は裂け、骨は折れました。イエスは3時間、十字架上ではりつけにされ、激しい苦痛のうちに息を引き取りました。
ヨハネの福音書ではイエスの死後、ローマの兵士が彼の脇腹を槍で突き刺し、血と水が出てきたとあります。これは、呼吸困難による急速な心拍で、肺と心臓の周りの袋に液体が集まったことによるもので、苦しみの中で窒息死したことを意味します。
罪のないイエスが十字架の苦しみを負ったのは、信仰者が天の御国に入るためです。イエスは全ての罪や病、苦しみを負って死なれました。
聖書に「罪から来る報酬は死です」とあります。罪を持ったままでは、御国に入れないのです。このイエスの十字架に、神の愛があります。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません」(ヨハネ14:6)
イエスが私たちの罪の身代わりとなって十字架で死なれたことを知り、罪を悔い改めて救われる人は、なんと幸いでしょうか。その人は聖霊に満たされて、神の祝福と永遠の命が与えられ、天の御国に入れます。
「アブラハム、イサク、ヤコブの神、すなわち、私たちの父祖たちの神は、そのしもべイエスに栄光をお与えになりました。あなたがたは、この方を引き渡し、ピラトが釈放すると決めたのに、その面前でこの方を拒みました。そのうえ、このきよい、正しい方を拒んで、人殺しの男を赦免するように要求し、いのちの君を殺しました。しかし、神はこのイエスを死者の中からよみがえらせました。私たちはそのことの証人です。そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです」(使徒の働き3:13〜16)
イエスによって与えられる信仰により、私たちは完全にされます。神に感謝し、全ての栄光を神にお返しし、栄光から栄光へと神の似姿に変えられていき、永遠の御国に入ることができます。
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