日本基督教団のカリスマ運動指導者として知られ、2月8日に79歳で死去した同教団高砂教会の手束正昭元老牧師の召天記念礼拝が3月20日、兵庫県高砂市の同教会で行われた。国内外から約200人が参加し、在りし日をしのびながら、手束牧師が最期まで願ってやまなかった日本のリバイバルに心を合わせた。
礼拝では、手束牧師の立ち上げた日本民族総福音化運動協議会(民福協)で事務局長を務める行澤一人牧師(レハイムキリスト教会)が説教。「手束先生といえば何といっても、伝統的教団教派の中に、聖霊による教会とクリスチャン個人の刷新、すなわちカリスマ聖霊刷新を力強く推進した器として特筆されるべき」と述べ、手束牧師の歩みを振り返った。
「手束先生は典型的な社会派牧師でありながら、ご自分が育った日本基督教団の長期低迷傾向を深く憂い、その問題である知的、倫理的、社会的な信仰の在り方を変革していく必要性をうちに感じておられました。しかし同時に、福音派諸教会が聖書の聖典性を重視するあまり、聖書の文字に縛られ、その信仰の在り方が硬直化しかねない傾向、また、聖書信仰といいながら、自派の聖書解釈を絶対視することで、独善的、排他的になりかねない傾向に対しても、疑問を感じておられました」
そのような中で手束牧師は1975年、高砂教会の修養会で使徒行伝2章にあるような聖霊降臨の出来事を体験する。著書には、その時の様子について次のように書かれている。
「バリ、バリ」と音がした。しかも目をつぶって祈っているのに、天の一角が崩れて煙のような霧のようなものが “二階座敷” に注がれてくるのが見えた。そしてそこに居合わせた人々が、全員ワァーッとばかりに泣き出したのであった。聖霊が降ったのである。(『恩寵燦々〔さんさん〕とー聖霊論的自叙伝』(上巻)、315ページ)
内側から霊的に変革させられた手束牧師が、その後の現実と向き合う中でまとめた神学的試論が、『キリスト教の第三の波』だ。86年にキリスト新聞社から出版され、発行部数は神学書としては異例の1万部を突破した。聖霊はどのような神学的背景を持つ教会にも自由自在に働き、それぞれの神学を生み出した固有の良きものを見事に引き出しながら、それぞれの在り方が尊重される形で一致の大きなうねりを作り出していくことを、自身の聖霊体験から証ししている。
行澤牧師は、「神学的枠組みが、学問的リベラリズムであるか、保守的、福音主義的であるかを問わず、さらには、カトリックや東方正教会であるかを問わず、生きた聖霊による信仰経験を共有し得るならば、それらの相違を乗り越えて一致していくことができる。いわゆる聖霊による真のエキュメニズムを実現することができる。この望みこそが手束聖霊論の真骨頂」と指摘。その上で、「聖霊によるエキュメニズムの願いは道半ば」とし、「これこそまさに、手束先生がわれわれに残された大きな宿題の一つであるといえる」と語った。
また、手束牧師が民福協の働きを進める中で、日本宣教を拒む大きな要因として強調してきた、いわゆる「東京裁判」史観についても言及。「真の信仰による自立は、いたずらに国粋主義的な孤立の道を選びません」とし、「日本人クリスチャンは、主によって与えられた民族的使命を探り求め、聖霊に聴きながら、おのおのの民族的使命を代表する諸国のクリスチャンと一致し、それぞれの個性と違いに敬意を払いながら連帯していく」と話した。
「これら全てのことが聖霊によってのみ成就されるのだということをはっきりと覚えて、いよいよ聖霊様を尊び、聖霊様の導きに従ってまいりたい」と強調した上で、「途方もなく大きなことのように思えても、手束先生が仰ぎ見た情景に少しでも近づいていくことができるように、今新たに励まされ、ここから再び歩き始めようではありませんか」と訴えた。
特別賛美をささげた福音歌手の森祐理さんは、「手束先生には福音歌手の初期の頃から支え、祈り、導いていただきました。どんなに感謝してもし尽くせない」と話した。台湾への伝道旅行に度々同行したときの思い出を語りながら、手束牧師が愛したという台湾の賛美を台湾語と日本語で歌った。
民福協理事の後藤利昭牧師(京都シオンの丘キリスト教会)は、21年前に初めて出会ったときの思い出を語りながら、「手束先生との交わりから多くの恵みと助け、主からの導きを頂いて今日生かされ、強められていることを本当に感謝している」と語った。今はまだ深い悲しみの中にいるとしながらも、「バトンを受け継いで、自らの走るべき行程をしっかりと歩んできたい」と話した。
高砂教会の姉妹教会である韓国ケサン中央監理教会の崔信成(チェ・シンソン)主任牧師は、「手束先生はパウロのような生き方をされた方でした」と証しし、「高砂教会が主の再臨の時まで成長し続け、大きな働きをなす教会になることを願います」と述べた。また、高砂教会と姉妹教会であり、親交の深い台湾の諸教会からも牧師らが参加して特別賛美をささげ、寄せ書きや記念品を贈るなどして哀悼と感謝の意を表した。
妻の美智子さんは、手束牧師と共に仕えた高砂教会での50年の歩みを振り返り、「手束牧師はこの日本民族を愛して、この日本においてキリスト教がもっと広がっていくようにと、それ一本の願いをもって走り通してきました」と証しした。召される日の前夜には教会で祈祷会が持たれ、100人以上の信徒らが集まった。牧師館で床に就く手束牧師もオンラインで参加し、既に言葉を発することができない状態だったが、何度も手を上げて信徒らを祝福して祈っていたという。
「最期は、胸の前で手を組んで祈りながら、天に凱旋していきました」と語り、「もっと長く生きて、主の働きをすると思っていましたけれど、神様がその時を定めてくださいました。日本のリバイバルのために、日本の救いのために、これから共に立ち上がっていきたい」と力を込めた。
礼拝では他にも、高砂教会で伝道師を務めていた三上明牧師(東洋福音教団加茂川キリスト教会)が思い出を語った。献金時には長年手束牧師の台湾伝道旅行に同行し、賛美の奉仕をした具志堅ナオ子牧師(泡瀬バプテスト教会)が賛美をささげ、最後は高砂教会の新谷和茂主任牧師が祝祷をささげた。