兵士のうちのひとりがイエスのわき腹を槍で突き刺した。すると、ただちに血と水が出て来た。(ヨハネ19:34)
血は命を表します。兵士が十字架上のイエスのわき腹を突き刺したとき、「血と水」が分かれて出ました。それは、酸欠で心臓が圧迫されたことにより、心臓が破裂したためです。十字架刑は、呼吸困難で苦しみ抜いて亡くなるという極めてつらい処刑なのです。
イエスがそこまで苦しまれ、十字架で血潮を流されたのは、私たちの身代わりとなってその罪を贖(あがな)うためでした。
「罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです」(ローマ6:23)
イエスを信じる人には、永遠の命が与えられます。イエスの十字架の血潮は私たちの霊、魂、体の全ての領域に癒やしをもたらします。信じる人はその罪ととがを赦(ゆる)され、救いと癒やし、解放が与えられます。
「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています」(コロサイ1:14)
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました」(ヘブル12:2)
私たちの希望は、この地上の死で終わることのない、永遠に朽ちない天の御国にあります。信じる者の希望は失望に終わりません。主に感謝して、全ての栄光を主にお返しします。
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