バラバは強盗であった。(ヨハネ18:40)
バラバは強盗で、暴動と人殺しのかどで牢に入れられていた悪党でしたが、イエスの代わりに恩赦を受け、無罪となって釈放されました。
このバラバというあだ名は「バル(息子)」と「アバ(父)」という2つの語からできた合成語です。「父の息子」という意味ですが、イエスが「天の父なる神の息子」なのに対して、バラバは名前だけの「父の息子」です。
そしてバラバの本名は「イエス」であったと文献にあります。イエスのヘブル語は「イェシュア」で「主は救い」という意味です。イエスが真の主であり救い主であるのに対して、バラバは名前だけの「イェシュア」でした。
神の子イエスが「無実の罪」で捕らえられたのに対し、バラバは実際に強盗で人殺しであり、ローマに対する反逆者でした。罪のないイエスは、この悪党の身代わりともなり、十字架の死を遂げられました。
ユダヤの最高法院は、自身を神と同等だと言ったイエスを、神を冒とくした罪に定めました。民の指導者たちは、当時ユダヤの地を統治していたローマ総督ピラトのもとにイエスを連れていきましたが、ピラトはイエスから一つの罪も見いだせませんでした。ピラトは、彼らがねたみからイエスを引き渡したことを見抜いていました。
ユダヤの過ぎ越しの祭りには、一人の罪人を恩赦によって釈放することが当時の習わしでした。イエスを釈放しようと考えたピラトは、強盗や人殺しをした囚人バラバを引き合いに出すことで、群衆はバラバよりイエスの恩赦を願うだろうと期待しました。
しかし、群衆はバラバを釈放してイエスを十字架につけろと強く叫び、ついにそのようになったのです。
人間の策略の全ての背後には、神のご計画があります。イエスは私たち一人一人を愛され、私たちの罪の身代わりとなって十字架にかかり、死んでくださいました。
罪のないイエスが私たち罪人の身代わりに十字架刑を受けて死なれたことにより、それを信じた人は、己の過去、現在、未来の罪の代価からくる「永遠の死」を刈り取ることがなくなり、無罪とされます。
イエスが私の罪の身代わりに十字架で死んでくれたと信じて告白する人は、天の御国へ入れる特権が与えられます。イエスは言われました。「わたしは、真理のあかしをするために生まれ、このことのために世に来たのです。真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います」(ヨハネ18:37)
イエスを神の御子だと信じて受け入れるとき、人は真理に属する者、イエスに属する者とされます。罪の奴隷から、神の子どもへと変えられ、永遠の御国に入るという救いの道が、イエスによって開かれました。
神は私たちに、救い主であるイエス・キリストの祝福と希望、命を受け取り、栄光から栄光へとイエスの似姿に造り変えられていくことを望んでおられます。そして来たるべき時には、イエスと共に天の御国に携え上げられます。ここに希望があります。
主があなたを祝福して、あなたを守られますように。
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