わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。(ヨハネ21:22)
2千年前、イエス・キリストはこの地上に来られました。そして主はまた来ると再臨を約束されて、天に昇られました。12弟子の一人であるヨハネがそれを見て書き記し、証ししてくれました。
イエスが弟子たちに求めたのは、死に至るまでの忠実であり、神キリストへの従順でした。「あなたは私に従いなさい」という命令は、悪魔の支配するこの世にあって、勝利するために必要です。
そしてキリストを愛し、見返りを求めない無償の愛を神は求めておられます。神から愛され、神を愛し、神の命令に従うなら、その人はこの世の勝利者とされ、神の栄光を表すことができます。
「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった」(ヨハネ1:11、12)
「見よ。わたしはすぐに来る。わたしはそれぞれのしわざに応じて報いるために、わたしの報いを携えて来る」(黙示録22:12)
「主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります」(1テサロニケ4:16、17)
「イエス・キリストから目を離さないでいなさい」と主は言っておられます。キリストにある、聖書の御言葉に根ざした信仰を神が求めておられます。神の言葉は生きていて、力があります。その力ある御言葉により、神の国と神の義を求めつつ、主と共に歩み、栄光から栄光へと、主キリストの似姿に変えられていくのです。
主は、土の器である私たちに聖霊という宝を与えてくださいました。聖霊の賜物を頂いて神に仕え、主に栄光をお返ししていく人生でありたいと願います。
キリストは「あなたは、私に従いなさい」と言われました。キリストに従うということは、神の命令を守ることです。第一に神を愛し、第二に隣人を愛すことを言っておられます。隣人を許せず、神の命令に従うことが難しく感じるときがあっても、自分の感情や思いを神に委ねることです。なぜなら「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽い」と、主が約束しておられるからです。
神は、信仰による御霊の実が実っているかどうかをご覧になられます。御霊の実は、愛 ・喜び ・平安 ・寛容 ・親切 ・善意 ・誠実 ・柔和 ・自制です。その中で一番優れているのは愛だと主は言われました。
「キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい」(コロサイ2:7)
「イエスは答えられた。『一番たいせつなのはこれです。「イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」次にはこれです。「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この二つより大事な命令は、ほかにありません』」(マルコ12:29〜31)
人生には困難があり、苦しみもありますが、それでもキリストにある人生は素晴らしいと告白したいです。私たちの師であり、命の恩人であり、救い主であるイエス・キリストが、私たちと共にいてくださいます。
「試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです」(ヤコブ1:12)
「あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは忍耐です」(ヘブル10:36)
「なぜなら、神によって生まれた者はみな、世に勝つからです。私たちの信仰、これこそ、世に打ち勝った勝利です。世に勝つ者とはだれでしょう。イエスを神の御子と信じる者ではありませんか」(1ヨハネ5:4、5)
私たちはキリストにあって世から勝つ勝利者であり、信仰者には、神の子どもとしての特権が与えられています。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで」(2歴代誌20:21)
私たちは、地上では寄留者であり、旅人です。私たちの故郷は、天にある都、天のエルサレムにあります。そこで永遠に神と共に過ごす喜びと希望があることに感謝して、日々、御言葉により主を思い、主を待ち望み、地上での生活を全うしていけたらと願います。
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