2022年は、1980年代から90年代の名作がリブートされたり、続編が作られたりと、映画ファンにとってはかなり特別な1年となった。私がレビューした作品としては、5月に公開された「トップガン マーヴェリック」、「ロッキー4/炎の友情」を再編集した「ロッキーVSドラゴ:ROCKY IV」がある。これらの作品は、完全に「われわれ(筆者は今年54歳!)の時代」をトレースし始めている。
そんな中、新海誠の新作やマーベルシリーズの続編、そしてジェームス・キャメロン監督の「アバター」以来13年ぶりの続編「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」など、並み居る超大作の向こうを張って、また一つ90年代を象徴するアイテムがリブートされた。それが本作「THE FIRST SLAM DUNK」である。
もはや説明の必要がないほど、日本マンガ界では金字塔となっている作品である。90年から96年にかけて、「週刊少年ジャンプ」を文字通りけん引した名作中の名作である。連載中からアニメ化され、アニメ作も多くのファンを感動させたといわれている。マンガの作者である井上雄彦氏は、映画の本作では監督と脚本も担当している。まさに物語の創造主が、表現の舞台をマンガ(静止画)から映画(動画)に置き換えて、私たちを楽しませてくれているのである。
ここまではあくまで一般論である。ところで、一つ告白しておかなければいけないことがある。それは、私はほぼ間違いなく「スラムダンク初心者」だということだ。90年代に愛読していたのは「週刊ビッグコミックスピリッツ」であり、少年誌では「週刊少年マガジン」であった。だから『はじめの一歩』には詳しいが、『スラムダンク』についての知識はほとんどないのである。その証拠に、映画の本作最大のポイントである「誰は主人公か」問題も、あとから解説を読んで知ったくらいである。
そんな初心者が、多くのファン(もはや「信者」といってもよいほどのコア層もいる)を既に獲得している『スラムダンク』の映画を観たらどうなるか。完全に置いてきぼりを食らうのか。それともこんな初心者にも分かりやすい一本の映画作品となっているのか。これが本作を鑑賞しようと決断した直接的な動機である。
結果は、大いに堪能した。いや、これは2022年最高傑作ではないか! そう思わされた。それだけではない。もっと深遠な人間の心情を見事に浮き彫りにし、単にバスケットボールが好きな人たちだけにではなく、全ての人に訴えかける普遍的なメッセージが本作には込められていることに気付かされたのである。
それは、人は「喪失」とどう向き合うか、ということである。ここに、キリスト教的アプローチが出てくる。
多少ネタバレになるが、本作の主人公は桜木花道ではない。マンガは桜木が主人公であったが、本作はチームメイトである宮城リョータに寄り添っている。映画の主人公はリョータといえる。
リョータは幼い時に父を失い、兄と共に母と妹を守るという誓いを立てる。そして兄を慕い、兄に憧れ、兄と同じくバスケットボールを愛するようになっていく。しかし、ここに悲劇が訪れる。兄もまた、志半ばで海難事故により命を失ってしまうのである。
リョータはその後、追っても決してつかまえることのできない「兄の背中」を捉えようと努力することとなる。しかし、同時に周りもリョータと兄を比較し、心無い言葉がリョータの心をえぐる。だから彼はさらに自分を追い込んでいく--。
彼の「喪失」は、物語のクライマックスまで彼の足かせ手かせとなる。リョータは兄の幻影に苦しめられ、また自らも苦しめられることを選択する。そのせいだろうか、最大のライバル、山王工業高校とのインターハイ2回戦で、リョータたちの湘北高校は徹底的に追い詰められていく。このあたりの展開は、連載当時のマンガの内容を踏襲しながら、そこにインサイドストーリー的な肉付けが映画ではなされている(そうである)。
このような無間地獄の状態に陥った聖書の人物にヨブがいる。彼は理不尽の極みを体験した人物である。非常に敬虔な人物であったが、財産だけではなく、子どもたちの命も含め、持っているものを次々と奪われるのである。しかし、どうしてそのような目に遭わなければならないのか、本人にはその理由は示されない。そして、友人からも妻からも責められ、最後には自らも己を呪い始める。
リョータが山王工業と戦いながら、しかし己自身の殻を打ち破れないもどかしさを感じる場面では、聖書に登場するヨブの叫びが聞こえてくるようだった。
しかし、ヨブ記はあるところから物語の色調を変えていく。それは次の言葉からだ。
主は嵐の中からヨブに答えられた。知識もなしに言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。(ヨブ38:1~3)
苦しみの意味を問うていたヨブに対し、むしろ神が問う場面である。「(むしろ)私が尋ねる。私に示せ」と。ヨブはそこで本音を吐露し、そのことの故に結果的に二倍の祝福を得ることになる。ただし、理不尽さの理由は分からずじまいである。
リョータはチームが追い詰められたとき、自らの殻を破る。それは、山王工業を倒すことを願っていた兄の思いとは別に、兄に教えられたドリブルの極意を、自分自身のものとして「示す」ことによってである。主人公の心に「喪失」を超える何かが生まれ、ここから物語(試合)は急展開する。
彼の「喪失」を癒やすものはない。どうして父が、また兄が早世しなければならなかったのか、自分がその代わりを務められるか、という問いに対して、一切納得できる答えを彼は得ていない。まさに神が、「さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ」と語った後のヨブの姿である。
本作は「喪失」を「どう乗り越えるか」の物語ではない。「喪失」を(ドリブルによって)「蹴散らす」物語である。それは結果的に「乗り越える」ことにつながる。私には、映画の主人公リョータの姿にヨブが重なってしまった。
スラムダンク世代もそうでない(私のような)人も、ぜひこの年末年始、手に汗握りながらも「喪失」を蹴散らしていく高校生の姿に涙してもらいたい。
■ 映画「THE FIRST SLAM DUNK」公開後PV
■ 映画「THE FIRST SLAM DUNK」公式サイト
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