36年前、一人の少年はドキドキしながら、ある場所へ向かっていた。誰かに見つかるのではないか。ここにいることがバレたら、二度とこんな場所に来ることはできなくなるのではないか――。
そう思いながら、少年がおずおずと階段を上って入ったのは、当時70ミリシネラマ上映で有名な名古屋の「名鉄東宝」という映画館だった。彼は大学受験を控えた高校3年生。しかもそれは、あと1カ月で共通一次(現在の共通テスト)が始まるという、受験生なら脇目も振らずに教科書や参考書と向き合っている時期だった。しかし、この少年はどうしても「ある映画」が観たかった。だから、冬期講習会をサボってまでもやって来たのだった。彼は思っていた。「受験を棒に振って、1年を無駄にすることになったとしても、どうしてもこれだけは観たいんだ!」と。
そう、彼は会いたかったのだ。米海軍の戦闘機「Fー14」に乗り込み、親指を立ててニッコリとほほ笑んでいるトム・クルーズに――。彼が観に行った作品、それは「トップガン」だった。1986年に全米公開され、同年の全米興行収入ベスト1位に輝いた作品である。
もうお分かりだろう。この少年こそ、36年後に自称「シネマ牧師」となる私、青木保憲である。
あれから36年がたち、コロナで2年の公開延期という憂き目に遭いながらもついに公開されるのが「トップガン マーヴェリック」である。前作「トップガン」でスターの仲間入りを果たしたトム・クルーズが、助演やカメオ出演ではなく、堂々と主役を張った続編である。冒頭のシーンから、36年前の前作と同じ構成(つまり韻を踏んでいる)であるため、私は一気に17歳だった当時の自分に連れ戻されてしまった。特にエッジの聞いたエレキギターがかき鳴らされるテーマソング「デンジャーゾーン」が同じシチュエーションでかかったときは、主人公マーヴェリックとの再会に涙を禁じ得なかった。
もちろん、前作から30年以上もたっているため、アクションや戦闘機内の描写などは現代風にブラッシュアップされている。だが何よりも心に響くのは、物語の展開が見事に「トップガン」している点(ここも韻を踏んでいる)である。
前作には、レーダー迎撃担当として同じ機体の後ろに乗り込んでいた親友グースを事故により失ってしまうシーンがある。前作では、鼻っ柱の強いマーヴェリックが初めて挫折を体験する「単なるアクセント」的な扱いであったが、本作はこの「事故」が物語の重要なカギとなってくる。あれから月日が流れ、マーヴェリックがトップガン(米海軍のエリートパイロットチーム)の教官として復帰したとき、彼の前にグースの息子にして同じくトップガンとなったルースターが立ち現れたからである。
マーヴェリックは、自分の判断ミスで親友を死に追いやったと思っていた。そして、グースの息子ルースターも、マーヴェリックのせいで父親は命を落としたと思っているのである。2人の間に火花が散る。そしてルースターの怒りは、教官であるマーヴェリックの過去の所業(レーダー迎撃担当者である父を見殺しにしたこと)に向けられていく。果たして彼らが真に邂逅(かいこう)する時は訪れるのか。そしてその先にあるものとは?
前作で描かれた一つのエピソードを次作のメインに据え、シリーズ全体のテーマを底上げするという手法は、「ロッキー4」で登場したソ連のボクサー、イワン・ドラゴのその後を描き、次の世代の物語と見事にシンクロさせた傑作「クリード 炎の宿敵」を彷彿(ほうふつ)とさせる。同じように前作「トップガン」も、続編である本作によってより味わい深い傑作の域に導かれたといえよう(このあたりの話はかなりマニアックなので、分かる人だけうなずいてください!)。
本作は、イケメンレジェンド俳優の新作であり、CGに極力頼らず、IMAXカメラを駆使して本物の戦闘機を飛ばして撮影したという意味で、21世紀のハリウッド映画を象徴する一作であることは間違いない。しかし、そのようなきらびやかな側面のみに目を奪われてしまうと、重要なテーマを見失ってしまうことになる。
本作は、贖罪(しょくざい)の物語である。過去に縛られた男たちが、その痛みをどうやって乗り越えていくかを描いているという意味において、とても福音的である。
「時間がすべてを解決する」とよく言われるが、実はそればかりではない。時間がたてばたつほど、過去の傷や出来事にむしろ翻弄され、強く縛られ、本来の自分の姿を見いだせないということもある。そのことを本作は強く訴えている。
私たちにとって最もやっかいな「過去」とは、刺すような直接的な痛みというよりも、生き方の中にいつしか刷り込まれ、自分を責めさいなむものが何であるかさえ忘れてしまうような、そんな鈍い痛みである。本作の主人公マーヴェリックは、そういった類いの痛みに終始さいなまれている。そこからどうやって解放されるかが、実は本作の根底に流れるテーマである。
決してネタバレではないので安心していただきたいが、この痛みからの真の解放、贖罪の瞬間が本作には用意されている。私はその場面に遭遇したとき、思わずガッツポーズをとってしまった。そして、マーヴェリックに過去からの解放の大切さを予め伝えていた「戦友」の存在に思いをはせた。その戦友が伝えたかったことは、次の聖書の一節に集約することができる。
これは主が設けられた日。この日を楽しみ喜ぼう。(詩編118:24)
過去に縛られず、目の前にある「この日」を新しい日として実感できるのは、「主が設けられた日」という捉え方にある。本作に聖書に基づく直截(ちょくさい)的な言葉があるわけではない。しかし背後には、この日を精いっぱい生きるために「過去を水に流す」ことの大切さを説くフレーズはある。問題は、それがどうして可能となるかである。私たちは年を重ねる中で、さまざまな「過去」を生み出してしまう。だがそれでも、今日は「新しい日」であり、「この日は主が設けられた」と捉えることで、新しく生きることが可能となる。「トップガン マーヴェリック」が人間ドラマとして、前作から30数年を経て作られたことの意味は、そんなところにあるのではないだろうか。
本作は、どんな「過去」に縛られた人間であっても、そこから新しくやり直せるという至極真っ当で前向きなキリスト教的メッセージに相通じるものを醸し出している。腹の底から突き上げるような戦闘機のジェット音に驚き、36年前とほとんど変わらない爽やかな笑顔を振りまくトム・クルーズに心奪われながら、きらびやかな世界観の底流に存在する普遍的な人間解放のドラマを、ぜひ劇場で堪能してもらいたい。
■ 映画「トップガン マーヴェリック」予告編
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