米国のキリスト教界は大きい。日本のそれと比べるなら、それは比較にならないくらい巨大であり、クリスチャンが「クリスチャン」として何の抵抗もなく生きることができ、軋轢(あつれき)が生じることもない。確かにクリスチャン人口が次第に減少しつつある米国だが、100年単位で考えても、「キリスト教国」という枕詞は、そう簡単に拭い去られることはないだろう。
本作「君といた108日」は、「アイ・キャン・オンリー・イマジン 明日へつなぐ歌」を監督したアーウィン兄弟の新作である。前作がクリスチャン音楽界最高のセールスを記録した同名楽曲の逸話であるとしたら、本作はそのスタイルを継承しながらも微妙にポイントをずらしている。つまり、本作の主人公であるクリスチャンシンガー、ジェレミー・キャンプの半生、特に妻であるメリッサとの出会いとその後の人生を、まるで米国のテレビドラマ「フレンズ」のような豪華なスタイルで描いたラブストーリーとなっている。だから日本の配給会社は「君といた108日」という、ちょっとムズがゆい(50過ぎのおじさんにはそう感じてしまう)タイトルにしたのだろう。ちなみに原題は「I Still Believe(それでも信じる)」。これもジェレミーの同名楽曲から取られているが、その意味が分かるラストに、私たちは涙せずにはいられない。
物語は、ジェレミーが大学に合格し、親元を離れる場面から始まる。牧師になる資格を懸命に取ろうとした父(何と、演じているのはゲイリー・シニーズ!)、彼らを温かく包む母の下で育てられたジェレミーは、大好きなギターを握り締め、新たなステージの扉を開いていく。そして憧れのクリスチャンシンガーと出会い、彼の粋な計らいでステージに立つ機会が与えられたことで、彼の人生はまったく変わってしまう。それは、クリスチャンシンガーとしてのキャリアの始まりであると同時に、彼の生涯の伴侶となるメリッサとの出会いでもあった。瞬く間に恋に落ちる二人。このあたりの展開は、ある意味ベタベタで、1990年代に一世を風靡(ふうび)した「フレンズ」や「ビバリーヒルズ青春白書」ばりの豪華さである。
しかし、ここに大きな難題が押し寄せる。メリッサが病に倒れてしまうのである。しかもそれは不治の病らしい。それを知ったジェレミーは、自分のステージで、彼女の癒やしのために祈ってほしいと訴える。
日本では、この展開がまず「ありえない」だろう。日本の芸能界は宗教を嫌う。こんなことを言うアーティストは間違いなく干されてしまう。だが、だからこそと言うべきか、クリスチャンにとってこの展開は爽快感を与えてくれる。そしてこの呼び掛けに応じて、多くの観客が手を上げたり、胸に手を置いたりして祈り始める。一視聴者として、またクリスチャンとして、「ああ、こんな光景が日本でも起ったらいいな」と思わされてしまうシーンである。
本作は、若いクリスチャンに、できれば教会の仲間と一緒に鑑賞してもらいたい。もちろん伝道目的で友達を誘うのもいいだろう。ある程度、教会やキリスト教に対する理解と体験がある人ならなおいい。私もかつて、こういうキリスト教が広く浸透した社会に憧れたことがある。20代の時、本気で米国で聖書を学びたいと願ったことがある。それは、こういった自由な環境、クリスチャンがマスである状況で信仰生活を送りたいという渇望感からだった。
しかし、本作の物語はその後、思いもよらない展開を見せる。ここから先はネタバレになるので、詳細は書けないが、しかし原題がどうして「それでも信じる」なのか、その意味が分かるラストは、本当に思わず「信仰者の涙」が込み上げてきた。
観終わって、次の御言葉が浮かんできた。
私にとって生きることはキリスト、死ぬことは益です。(ピリピ1:21)
一見、楽しげな青春ドラマでありながら、本作はその「楽しさ」の源流となっている信仰の在り方を鋭く問う内容となっている。アーウィン兄弟が前作「アイ・キャン・オンリー・イマジン」で父子の葛藤を描いたように、本作は人間の根源的なテーマである「死」と私たちを向き合わせることになる。しかし、詩篇の作者が語るように「たとえ、死の陰の谷を歩むとしても」(詩篇23:4)、私たちにはそのただ中で、「それでも信じる」と告白することができる道が備えられているのである。その決断をする主人公の歩み、そして生まれた楽曲、その後の「あの展開」――。私たち信仰者はすべて、人種も民族も優劣もなく、ただ神の前に「それでも信じる」と告白することによってのみ、同じ「神の子」としての立場を頂いているのだ、ということが分かる。
まことに、あなたの大庭にいる一日は、千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりは、私の神の家の門口に立ちたいのです。(詩篇84:10)
この御言葉に立つなら、「君といた108日」は、単に24時間×108日ではなく、主と共に過ごす一日のような、かけがえのない時間となるのだろう。そして主人公に、また新たな扉が用意される。神様はなんと心憎い方だろうか。そんなことを思わされる秀作である。
年末の、しかも大晦日の公開ということで、これを好条件と取るか、悪条件と取るか、それはまちまちだと思うが、ぜひ劇場に足を運んでもらいたい。
■ 映画「君といた108日」予告編
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