自称「シネマ牧師」として映画を観続けてきたが、ここ数カ月はベスト級の作品と巡り合う確率が異様に高い。先日鑑賞した「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」も最高のジェームズ・ボンド映画であったし、前回レビューした「空白」も今年ベストの一つなのは間違いない。そして11月5日公開予定の「リスペクト」は、今年ベストのみならず、生涯ベストクラスの衝撃と感動が全身に走り渡った作品であった(一足お先に試写室で特別鑑賞)。
「クイーン・オブ・ソウル」の名称であがめられ、親しまれているアレサ・フランクリン。彼女の生涯を忠実に映画にしたら、おそらく4、5本のシリーズものにしなければならないだろう。それくらい彼女の生涯は波乱万丈、ドラマチックである。
その中から、本作では1950年代から70年代までの20~30年間にスポットを当て、彼女が隆盛を極めるところまでを映像化している。だが、それは単に彼女のバイオグラフィーをなぞったような、通り一遍の「伝記映画」ではない。もしも続編やミニテレビシリーズが製作されたとしても、おそらく本作を越えることはないだろう。それくらい映画「リスペクト」は、アレサ・フランクリンの本質を見事に描き出している。たとえ映画の時代から40年以上がたったとしても、その生涯を活写する上で、付け足すことなどないといえるだろう。それくらい「これぞアレサ・フランクリン」と言い得る見事な一作である。
物語は彼女が9歳のところから始まる。夜ベッドで休んでいた彼女を父親が起こす。集まってくれた客人が、リー(アレサのあだ名)の歌を聴きたがっていると言われたアレサは、嫌な顔一つせずに起き上がり、そして堂々と人々の前で一曲披露する。そこにはすでに「歌手アレサ」の片鱗が十分感じられる。
やがて父親の牧会する教会でも歌うようになり、その歌声は多くの会衆を魅了していくことになる。だがその一方、彼女(とその家族)は誰にも言えない「秘密」を抱え込むようになる。それは、わずか10代で妊娠してしまったことであった。当時は中絶などできなかっただろうし、それは牧師家庭で生まれ育った彼女の信仰が許さない選択だったのだろう。アレサの生涯を振り返るとき、未婚のまま10代で出産し、結婚後も夫のDVに悩まされ、そしてアルコールに依存する生活へと身を落としていったこの時期は、決して幸せとはいえなかったであろう。
だが、そんな彼女をかろうじて立たしめていたのは、音楽への情熱、すなわち歌うことだった。父親に言いなりの少女時代から、夫に拘束され続けた結婚生活。加えて大好きだった歌の世界でも、コロンビアレコードからデビューはしたものの、泣かず飛ばずの数年間――。そんな彼女を支えたのは、「歌うこと」そのものだったのである。
本作でアレサ役を演じたのは、かつて「ドリームガールズ」ですい星のごとく登場したジェニファー・ハドソン。彼女はアレサ同様、幼少の頃より黒人教会でゴスペルを歌いながら成長してきたという。そして何よりも感動的なのは、生前のアレサから自分の伝記映画を製作する際は「あなたが私を演じなさい」とお墨付きをもらっていたというのである。
だから本作にかけるジェニファーの意気込みは並大抵のものではなかっただろう。歌い方から衣装、立ち振る舞いに至るまで、単なる「物まね」ではなく、「アレサ・フランクリン」を完全に咀嚼(そしゃく)し、それを自らのパフォーマンスとして完全に自由に演じている。それは、映画のエンドロールで本物のアレサが歌うシーンで明らかになる。劇中のアレサ(ジェニファー)と、本物のアレサの歌にまったく遜色がないのである! これは驚きだった。大体こういう偉大なシンガーの伝記映画の場合、本人が歌うシーンを入れてしまうとどうしてもそちらの方が観慣れていて素晴らしいので、一種興ざめしてしまうことが度々であった。しかし、本作に限ってはそんな心配はまったくの杞憂(きゆう)であった。これだけでも、ジェニファーはアカデミー賞ものだと思う。
さて、物語の詳細はこれからご覧になる人のために多くは語れないが、映画全体の核となる事柄についてだけ触れておこう。それは、アレサが幼いときに母親から語り掛けられた次のような内容の言葉である。
「あなたは歌いたくなければ歌う必要はない。あなたを歌わせられるのは神だけなのよ」
母親は別居中であったため、思うように娘のアレサに会うことができなかった。だからここぞとばかり、彼女に的を射たアドバイスをしたのだろう。確かに父親は寝ていた娘をたたき起こして歌わせようとしたし、レコード会社は一曲でも多く歌ってもらうことでお金儲けを画策した。DV癖のある夫は生活のために彼女に歌うことを強要したし、多くのファンも彼女に歌ってもらいたいと願い続けた。彼女が嫌でも歌わざるを得なくなる将来が、母親には見えていたのだろう。そしてこの母親が、アルコールとDVでボロボロになったアレサを優しく包み込むクライマックスは、涙失くしては観られない。同時に、「ゴスペル(福音)」の底力を感じさせるシーンでもある。歴史的にも「ゴスペル」が希望の歌であることをあらためて認識させられる。そして女性たちの地位向上のアイコンとなっていくアレサの勇姿は、まさに「女王」そのものであった。
ご存じのように、彼女は1972年にロサンゼルスのニュー・テンプル・ミッショナリー・バプティスト教会でゴスペルコンサートを行っている。ここで彼女は自身のアイデンティティー、その生き方の原点を再確認できたという。同時にこの時録音されたゴスペルアルバム「アメイジング・グレイス」は、彼女最大のヒット作となっている。
観終わって、僭越(せんえつ)ながらアレサと私との共通点を見いだしたような気がしている。それは、かつては教会やクリスチャンの親を疎ましく思い、何とかそこから離れたいと願っていた私が、最後には親とか教会というちっぽけな存在をはるかに凌駕(りょうが)する「神」と触れ合うことで得た「自分の信仰」である。悩み、苦しんだ末に原点に立ち戻ったアレサと、問題の質は違えど、まさに同じような葛藤を抱えていたという意味において、同じである。そういった意味で、本作は私にとって正真正銘の「ゴスペル(福音)」を描いた見事な一作であった。
「あなたを歌わせられるのは神だけ」という信仰の告白によって導かれたゴスペルシンガーと、「私の人生に使命を与えてくださったのは神である」ということに気付かされ、今は牧師をしているこの私は、おそらく神の前には同じ「神の子」なのだろうと思う。
そして、本作は未信者で音楽好きな人にとっても大きなインパクトを与えるだろう。歌としての「ゴスペル」がどうして単なる「歌」ではないのか。その背後にあるとんでもないパワーを前に、私はどうしたらいいのか。そんなことを否が応でも考えさせられてしまう。それほど観る者の人生を変えてしまう力と魂(ソウル)に満ちた一作である。
本作鑑賞後に、ぜひ今年5月に公開された「アレサ・フランクリン/アメイジング・グレイス」もご覧になっていただきたい。すると両作が観る者の心の中で「カチッ」としかるべき場所にはめ込まれることだろう。その快感をぜひ、一人でも多くの人に味わってもらいたい。今年の暫定ベストであることは言うまでもなく、もしかしたら生涯ベスト級と言っても過言ではない、とんでもない「ゴスペル映画」、そして「クリスチャン映画」である!
■ 映画「リスペクト」特報
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