当初は3月27日公開であったが、緊急事態宣言が全国に発令され、約2カ月遅れの6月5日にやっと公開されることとなった伝記映画「ハリエット」。新型コロナウイルスによる外出自粛中、劇場に足を向けられなかったこともあり、公開日に鑑賞した。
映画のタイトル「ハリエット」とは、米国の新20ドル紙幣に肖像が採用されたアフリカ系米国人女性、ハリエット・タブマン(1820~1913)のことである。彼女の名前は日本ではそれほど有名ではないが、米国では「最も有名な人物トップ10」(2008年)で第9位に選ばれ、高校生以下に限ってみると第3位にランクインするなど、伝説的な超有名人の一人である。
19世紀半ばにメリーランド州で奴隷として生まれ、そこで夫や家族と共に過酷な労働に従事していたミンティ(後に自由の身となってハリエットと改名)が、奴隷制度を廃止したペンシルベニア州に逃げ延び、やがて奴隷たちの逃亡を手助けするようになり、「黒人のモーセ」の異名で呼ばれるようになっていく様が描かれている。
ハリエットが奴隷州と自由州を秘密裏に行き来した回数は10回以上。そして彼女の手引きで逃亡に成功した奴隷は1860年までの20年間に70人以上に上る。1896年にハリエット本人が語ったところによると、「一度も失敗したことがなかった」というのである。
バラク・オバマ前大統領在任中の2016年4月、米憲法修正第19条(婦人参政権の承認)制定から100年目に当たる2020年に彼女の肖像を新たな20ドル紙幣として使用することが発表された。しかしその後、ドナルド・トランプ現政権下の2019年6月、延期が発表され、現時点では2028年ごろの刷新予定(採用の見送りはない)となっている。そんな最中、新紙幣より一足先に、本作によって彼女の名が世界に知らされることになったわけだ。
では、作品としてはどうか。本作は、厳密にいうなら「伝記」映画とはいえない部分もある(これについては後述する)。だが、きちんと歴史的事実を踏まえながら彼女の人生を描き切っているという意味では、教育的効果が期待された「伝記物語」のクオリティーを十分担保している。特に、一口に「奴隷」と言っても、さまざまな立場が時代とともに生まれてきたことや、同じアフリカ系米国人であっても「自由黒人」と「奴隷黒人」が存在していたことなど、専門書などを読まなければ分からない状況が丁寧に描かれており、とても分かりやすい。
さらに、「ゴスペル」という音楽ジャンルが生まれる前、黒人たちが歌う歌が「黒人霊歌」や「ニグロ・スピリチュアル」と呼ばれた時代、黒人奴隷たちと歌がどのような関係にあったのか、そして互いに監視下に置かれていた彼らがどのように意思の疎通を図り、しかも最後には命懸けの逃亡を図るほど、入り組んだ作戦を実行し得たのかが、本作を観ることでとてもよく分かる。
そうした点では、大学や高校などで米国の奴隷制について学ぶとき、視聴覚教材として用いることも可能だろう。ちなみに米国では、映画を授業の一環で試写させることがよくある。例えば、2013年にアカデミー賞作品賞を受賞した「それでも夜は明ける」は、奴隷制度がはびこっていた米国を舞台にした作品だが、全米の高校で一度は試写されなければならない作品となっている。「ハリエット」もそれくらいの価値はある。奴隷たちがいかにして逃亡したか、どこへ向かったかなどが、かなり詳細に描かれているように思えた。
だが一方で、誰もが知っている歴史上のレジェンドを描くときに付きまとう「うさんくささ」も、本作には散見される。おそらくキリスト信仰を持っていない多くの日本人には、むしろこちらの方の印象がしっくりくるかもしれない。それは、ハリエットが時々、前後不覚になり、トランス状態に陥ってしまう描写である。そこで彼女の脳裏に示されるのは、これから起こる出来事であったり、神からの啓示であったりするのだ。
劇中、ハリエットという存在を最もよく表しているシーンがある。それは、農場主が放った猟犬に追われる中、ハリエットとその一行(逃亡奴隷たち)が通常の道を外れて、川の中に入っていく場面である。その前に彼女に幻が示され、そして奴隷たちを先導して水の中に分け入っていくのである。その姿は、まさに奴隷状態にあったイスラエルの民を導き、紅海を分けて進むモーセの姿と重ねられている。「黒人のモーセ」の面目躍如といったところだ。
だが、このシーンは見方によっては、あまりにも「ご都合主義」であって、「そんな超自然的な力があるのか?」と思わさせられるだろう。まるでマーベル映画のヒーロー誕生のシーンを彷彿とさせる描写である。
だが、クリスチャンにとってはまったく逆の効果がある。つまり、彼女のトランス状態や聖書の言葉の告白、そして何よりも奴隷たちを見事に脱走させたその行為は、すべて「信仰に導かれて」いたことの証左と見なされるからである。
ペンシルベニア州に逃げて来たとき、彼女が一人で160キロも旅してきたことに驚いた男性がこう尋ねる。「一人でこの道のりを歩いてきたのか?」 だが彼女は毅然(きぜん)としてこう言い返す。「いいえ、私は一人ではありません。神と共に歩いてここまで来たのです」と。
ここに、米国のレジェンドたるハリエット・タブマンの姿が描かれている。彼女の一挙手一投足はすべてが「伝説」であり、神格化されており、もはやどこが事実で、どこが人々の信仰を反映したものであるかの切り分けすらできない。それくらいハリエットは神聖不可侵な存在へと祭り上げられてしまったといえよう。だが、だからこそキリスト教信仰を抱く者たちを励まし、勇気付けることができる。ひいては、アフリカ系米国人たちに勇気と不屈の精神を与えることができるのだろう。
本作は歴史的な教材として、19世紀半ばまでの米国がどのような状態であり、奴隷たちがどんな扱いを受け、何に希望を見いだしていたかを知るのに最適な映画である。そして同時に、信仰者が「神に導かれる」ことでいかに偉大な働きを成し遂げることができるか、という勇気と励ましを与える「キリスト教映画」にもなっているのである。歴史と信仰、その両輪を見事にシンクロさせた映画が、この「ハリエット」である。
■ 映画「ハリエット」予告編
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