圧巻。この一言に尽きる。今年の東京国際映画祭で特集上映が組まれることからも分かるように、これからの日本映画を間違いなくけん引していく監督の一人、吉田恵輔監督の最新作。前作が松山ケンイチ主演のビターなボクシング映画「BLUE / ブルー」。これもなかなかの面白さで、スポーツ版「アマデウス」のような一作であった。才能のある人、ない人があらかじめ決められているかのように、勝負は非情だ。その魔力に魅入られてしまった主人公(松山ケンイチ)のひたむきさが心に突き刺さる一作であった。しかし今回は、さらにその上をいく出来であると断言できる。
物語は、女子中学生・花音(伊東蒼)がスーパーで万引きをとがめられ、店の奥に連れ込まれるところから始まる。しばらくして花音は店を走りながら出て行く。その後を追い掛ける店長・青柳直人(松坂桃李)がもう少しで捕まえそうになったその時、彼女は車にはねられて亡くなってしまう。ここから物語が始まる。
花音は本当に万引きをしたのか、連れ込まれた店の中で一体何があったのか。そしてこんな大事件になってしまったのは一体誰のせいなのか。さまざまな憶測をマスコミがあおり立て、その渦中に花音の両親、車ではねてしまったOL、その家族、そして花音を追い掛けた店長たちが巻き込まれていく。そして彼らが行き着いた先とは――。
予告編を見ると、娘を失くした漁師の父親がサイコ化し、執拗に店長を追い込んでいくホラー映画のような展開を予想してしまう。だがこれはミスリードだ。物語はそんなに単純なものではない。
本作の主人公は、間違いなく「和製ターミネーター」のような傍若無人ぶりを発揮する娘の父親、添田充(吉田新太)である。画面から観客に送り続けられる「顔圧」は、鑑賞後一週間たっても消えることがない。彼は「娘が万引きなんかするはずがない」と思い込み、あらゆる手段を講じて、娘の無実を証明する・・・のではなく、店長や学校、そして自分を責め立てるマスコミに対して、罵詈(ばり)雑言の嵐を吐き出すのであった。その様は、劇場に足を運んで自分自身の目で確かめてもらいたい。モンスターペアレント以上のモンスターぶりを見せつけられることになるだろう。
しかし、こんなモンスター父親に対し、別れた妻(花音の母親)が問う。
「あの子の何を知っているの?」
そして添田が知らなかったあることを告げられる。ここで添田は初めて、自分と娘との間に存在する「空白」に気付かされるのだった。
その後の展開はすべてがネタバレになるので、書くことはできない。最後の最後まで気が抜けない展開はもとより、粗野な父親が大立ち回りを演じるという一見大味なスタイルを取りながら、製作者側が実はジグソーパズルのピースを一つ一つはめ込んでいくような緻密な作業を重ねてきたのだということが分かるような作りになっている。
観終わって、この物語は私たちにも起こり得る出来事だと思わされた。突然の身内の死によって悲しみに暮れることもあるだろう。そうならない、とどこかで勝手に思い込んでいるからこそ、本当にそうしたことが起こったとき、人はその事実を受け入れられない。そして、自分の弱さを見つめる勇気がないため、他人に当たり散らし、虚勢を張ることもある。それだけではない。家族なのだから分かり合えている、と勝手に思い込んで、それで何事も波風が立たないうちはいいが、一度そこに決定的な不協和音が響き渡るとき、家族は本当に分かり合えていたのか、自分が勝手にそう思い込んでいただけではないのか、という疑念との戦いが始まる。
本作「空白」は、父娘の「空白」であり、マスコミ、メディアと私たちとの「空白」でもある。私たちはテレビや雑誌、SNSに多くの時間を費やしている。それだけ身近な存在のように思えていても、いざ事件の当事者になったとき、今まで慣れ親しんでいると思い込んでいたメディアは牙をむく。勝手に人を詮索し、決め付け、そして断罪する。他人事と思えていたうちは「興味深い事件」と思えるが、これが当事者となるとき、初めてそこには決して埋められない溝があり、「空白」が存在していることを実感することになる。
本作の冒頭で描かれる花音の死は、実は人々が平時には見ずに済んでいたそれぞれの「空白」を登場人物すべてに突き付ける。そして事件の「目撃者」たる観客の私たちにも。
果たして添田は花音との「空白」を埋めることができるのか。そもそも一度あらわになってしまった「空白」を埋めること自体できるのだろうか。そんなぼんやりとしながらも、実は私たちの身近にも存在する「空白」を、本作は見事にエンタメとして描き切っている。
観終わって、こんな聖書の言葉が浮かんできた。
人には自分の行いがみな純粋に見える。しかし、主は人の霊の値打ちを量られる。あなたのわざを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画は堅く立つ。(箴言16:2~3)
本作は、単に人間の分かり合えなさを描いているだけではない。登場人物一人一人に思いがけない「出会い」が用意されている。それは彼らが劇中のほとんどの時間を通して葛藤し、苦闘し、もがき苦しんだ果てに、まるで神様から差し出された「思いがけないプレゼント」のようなものである。己の力のむなしさ、はかなさをイヤというほど味わわされたその先に、まったく予期しない希望が語られる。それは彼らに対する慰めであると同時に、観ている私たちに対するご褒美でもある。
そうか、「空白」とは単に分かり得なさだけではないのか。「空白」があるからこそ、そこに神が宿る余地が残されているのか。そんなことに気付かされる。
自称「シネマ牧師」の今年のベスト作品暫定1位である。ぜひ多くの人にご覧になっていただきたい。
■ 映画「空白」予告編
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