昨年、ハリウッド映画界では、多くの「史上初」となる事件が巻き起こった。例えば、アカデミー賞最優秀作品賞をSF&モンスター映画(「シェイプ・オブ・ウォーター」)が受賞したり、マーベル作品の集大成となる「アベンジャーズ / インフィニティ・ウォー」が世界10億ドルを単体作品で最速突破したり、同じくマーベル作品の「ブラックパンサー」がほぼアフリカ系のみの出演者であるにもかかわらず、米国内興業収入7億ドルを突破したり・・・。おそらく2018年は後々、エポックメイキング的な1年として記憶されることだろう。
その記念すべき年に公開された見逃せない一作が「クレイジー・リッチ」である。
本作は昨年8月15日に米国で封切られるや、いきなりトップに躍り出て3週連続1位を達成。約1カ月半の間に1億7千万ドルの興行収入を上げた(ボックス・オフィス・モジョ参考、英語)。しかし、ここまでなら決して驚くには値しない。だが本作は、キャストがオールアジア系で、製作主要スタッフもアジア系で占められている。これは異例、いや、今までのハリウッドの歴史を振り返るなら、「ありえない」ことだと言っても過言ではない。
もちろん、今までのハリウッド映画において、アジアが舞台のものや、東洋的な思想や宗教、文化をテーマにした作品は多く作られてきた。例えば、大スター、トム・クルーズが「ブシドウ(武士道)」と片言の日本語で意気込みを語った「ラストサムライ」や、「カラテ」や「カンフー」を題材にして、大ヒットを飛ばした「ベスト・キッド」シリーズなどである。
歴史大作としてアジア系を挙げるなら「戦場にかける橋」「キリング・フィールド」「太陽の帝国」「ガンジー」「ラストエンペラー」など枚挙にいとまがない。あと忘れてはいけないのは、クリント・イーストウッドの「第2次世界大戦2部作」の後編、「硫黄島からの手紙」である。これは、スタッフ以外はほとんど日本人キャストで映画が製作されていた。渡辺謙や二宮和也の演技は、イーストウッド監督の演出と相まって、今でも語り草になっている。
しかしこれらの作品群と本作「クレイジー・リッチ」は、決定的に異なっている。それは、上記作品のほとんどが、主役はやはりWASPに代表されるいわゆる「白人」であり、ハリウッドが異なる世界(異文化)に足を突っ込んだようなテイストを拭い切れていないということである。
例えば、トム・クルーズ演じる「金髪の侍」は明らかに異様であるし、私が大好きな「ベスト・キッド」シリーズは、主役が当時のティーンアイドル、ラルフ・マッチオで、1980年代の米国人青年の甘酸っぱい青春が前面に出たスポーツ映画であった(ちなみに第4作は主人公が女性になり、ヒラリー・スワンクがりりしく演じていた)。
他の歴史大作も、ナレーターや狂言回し的な役割で必ず「西洋人」が登場し、いわゆる神的俯瞰(ふかん)視点で取り上げた歴史的事件を総括する立場を演じていた。つまり、どこまでいっても「西洋的視点から描かれたアジア(または日本)」だったのである。
しかし「クレイジー・リッチ」はこの現象を見事に反転させている。キャスト、スタッフがオールアジア系であるにもかかわらず、物語の構造は一見従来の「ハリウッド映画」である。しかし、主役のアジア系米国人の設定に現代的なリアリティーを持たせたことで、「異文化に足を突っ込んだ」感を完全に払拭している。むしろ、主人公が米国人としてのアイデンティティーを強調すればするほど、実はその本質が「アジア人」であることが次々と露わになっていくのである。「西洋的視点から描かれたアジア」ではなく、「アジア的な視点で描かれた米国」が、物語の進行とともにはっきりと浮かび上がってくるのである。
申し遅れたが、本作はこんな物語である。
ニューヨーク大学の経済学の教授であるレイチェルはアジア系米国人。生まれ育ちはニューヨークである。彼女は恋人のニックと一緒にシンガポールへ行くことに。彼の親友の結婚式に出席するためである。レイチェルはニックのつつましい生活から、本国でもあまり裕福ではない家の出ではないかと思っていた。
しかし事実はまったく反対だった。ニックはシンガポールでも一、二を争うほど裕福な一族の跡取り息子だったのだ。御曹司のニックを狙う女性は山のようにおり、レイチェルは彼女たちの嫉妬を一身に浴びることになった。また、ニックの母親エレノアも、レイチェルに対しては嫌悪感を隠さない。「米国の小娘では、わが家ではやっていけない」とはっきり言い放つほどである。「ニックとうまくやっていけるか」と自問するようになったレイチェルは、次第に自分のアイデンティティーに揺らぎを感じるようになっていく――。
かつて本作と同様、キャストもスタッフもすべてアジア系で製作された映画に「ジョイ・ラック・クラブ」がある。しかし残念ながら米国ではあまりヒットせず、その後このようなスタイルは継続されなかった。
ところが本作は、「セレブたちのバカ騒ぎコメディー」という体裁を取りながらも、本質として移民国家である米国の変化を見事に描き切ったことで、多くの観客の共感を呼んだと考えられる。それはかつて「WASP王国」であった米国が、人種的に変化しつつあることを物語っている。「アメリカ人」と言えば金髪、ブロンドヘアの白人がもてはやされた時代が今まさに「終わり」を迎えつつあるのではなかろうか。
本作はもはや「アメリカ人」と「アジア人」という区分けが存在しないことを示す好例である。アジア系米国人は、生粋のアジア人から見るなら「れっきとしたアメリカ人」にしか映らないという現実である。これは「アメリカ」という概念がその内側から、少しずつ質的変化を遂げていることの証左ではなかろうか。
この変化は決して人種的なものだけではない。キリスト教の在り方もこれに伴い、西洋主導の従来のパターンが薄れ、次第に質的な変化を体感するようになるのではなかろうか。そんな不透明で未曽有の変化が起こる可能性と隣り合わせに生きる時代が始まろうとしている。
映画として評価される場合、興行収入は宿命である。その点で一定ラインをクリアした本作は、記録と共に人々の記憶にも長きにわたって残る作品となるであろう。
日本では昨年9月末から公開され、すでに劇場公開は終わっているが、今月6日にはブルーレイ・DVD版が発売された。ハリウッド初と言ってよいオールアジア系の大ヒット映画を、現実に起きている米国の人種的変化を感じながら楽しんでいただきたい。
■ 映画「クレイジー・リッチ」予告編
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