前作「ジュラシック・ワールド/炎の王国」から4年。コロナ禍で撮影が難航したにもかかわらず、本作の製作は継続され、日本ではいよいよ7月29日に公開となる。原題は「Jurassic World: Dominion(ジュラシック・ワールド:支配)」。1993年から始まったジュラシック・シリーズ全体を着地させる完結編的意味合いが強く表れている。誰が「支配者」となるのか。それは、前作で世に放たれた恐竜たちか、それとも劣勢に回らざるを得なかった人間たちか。
監督は、3部作の1作目「ジュラシック・ワールド」(2015年)で、見事にジュラシック・シリーズのリブートを成功させたコリン・トレボロウ。ケレン味たっぷりに、恐竜のかっこよさと怖さ、そして時折挟み込まれるかわいさやお茶目さを見事に融合させる手腕は、観ている私たちを決して飽きさせない。本作でも新しい恐竜が何体か登場するが、いかにも「新種」という登場のさせ方で、とてもインパクトある絵作りとなっている。
同時に、ヴェロキラプトルのブルーという、半ば恐竜側の主人公にスポットを当てることも忘れていない。今までは、観客側からすると「異質な生命」として描かれてきた恐竜たちだが、リブート的なジュラシック・ワールドの物語では、クリス・プラット演じるオーウェンに懐いて友情をはぐくむパートナーとなっている。本作でも、そのあたりの深まりがある。予告編で情報開示されているからネタバレにはならないだろうが、ブルーの子が密猟者に捕らえられてしまう。それを助けにオーウェンが再び冒険に赴くという展開である。
もう一つ、前作で大きな衝撃を与えたのは、クローン技術が発展し、ついに人間の女の子メイジーが「誕生」してしまったことだ。彼女は自らのアイデンティティーを求めてさまよい、結果的に人間たちよりも恐竜たち(人為的に生み出された生命)にシンパシーを抱いてしまう。そしてクローン人間であるメイジーが恐竜たちを世に放つのだ。さてその後は?というところにも興味が向くだろう。科学技術のとどまることを知らない発展は、いつしか科学の「暴走」を招き、そして人が神に成り代わって「ヒト」を生み出してしまう。まさにこれは、現代のフランケンシュタインである。そのあたりが本作でどのように描かれているのかにも注目してもらいたい。
そして特筆すべきは、本作が2015年から続く「ジュラシック・ワールド」三部作の完結編にして、1993年の「ジュラシック・パーク」から続くジュラシック・シリーズの完結編となっている点である。ジュラシック・パーク時代に登場した科学者たち(サトラー博士、マルコム博士、グラント博士)が登場し、この恐竜との共存世界で再び悪戦苦闘するのである。この展開は、シリーズ全体を知っている者からすると、「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」的なノスタルジーを感じさせる。しかも彼らのキャラクターは、いい意味で進歩や成長がなく、「ああ、こんな人たちだったな」と観ている者たちにかつての作品をリフレインさせる効果がある。
では、一見さん的立場の人が本作を観たらどうだろうか。実は意外に、これはこれで十分楽しめる作品となっている。物語の深みはあまり感じられないだろうが、ジュラシック・シリーズ全体に共通するテーマは、本作のみでも十分つかみ取ることができる。「生命とは何か」から始まり、もはや人間が自然や生命を制御できないほどまでに地球環境が歪み始めていることを踏まえ、私たち人間にとって「脅威」となる存在とどのように「共存」することができるのか、ということである。
本作は、恐竜と人間の話を中心としながら、意外な生物が絡んでくる。そしてそれは、私たちの現実世界においてもアフリカや第三世界で猛威を振るうリアルな生命体なのである。本作は、実は恐竜との向き合い方を模索していた人間に、もう一つもっと深刻な問題が持ち上がっていることに気付かされる展開となっている。ここが、映画のフィクショナルな部分と、現実世界のリアリティーが交差する場である。そして物語を大きくけん引する要因ともなっている。
本作を観終わって、次の聖書の言葉が浮かんできた。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這(は)うすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28、新改訳2017)
この言葉は、かつて西洋社会において人間が食物連鎖の頂点に君臨することの根拠とされてきた。しかし、今やそうではない。人間が環境破壊を繰り返すことで、食物連鎖のつなぎ目にほころびができ、時には崩壊し、結果的に人間が劣勢に追いやられている状況があるのではないだろうか。恐竜ではないが、異質なものとの「共存」を強いられているという意味では、今のコロナ禍はジュラシック・ワールドのそれと大差ないともいえよう。地球温暖化の是非を問うことはしないが、日本でも夏の気温が上昇していることは、体感的に誰もが同意することだろう。
先の聖句の受け止め方が、時代とともに変化しているといわざるを得ない。「支配せよ」は、決して「支配者たれ」と鼓舞しているわけではない。現代神学ではこれを「管理せよ」と読み替えている。統べ治めつつ、全体を鑑みて差配せよ、ということだろう。本作が「共存」というテーマに明確な着地点を与えていないという点には不満が残る。しかし、先行きが見えないからこそ、「with ダイナソー(恐竜)」の世界をいろいろ提示して見せることで、私たちは現実的な「with コロナ」のニューノーマルな世界に思いをはせることができる。そういった意味では、近未来を寓話(ぐうわ)的に提示した良作といえるだろう。
夏休み映画の目玉の一つとして鑑賞するもよし。環境問題やコロナ禍のメタファーとして問題意識を持って鑑賞するもよし。いろいろな観方ができる作品である。
■ 映画「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」予告編
■ 映画「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者」公式サイト
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