1994年、ひっそりと一本の映画が公開された。「ショーシャンクの空に」である。出演はティム・ロビンス、モーガン・フリーマン。監督はフランク・ダラボン。原作は「ホラーの帝王」の異名で有名なスティーブン・キングである。日本では翌95年に全国規模で公開されたが、当時この映画の存在を知っていた人は、それほど多くはなかったであろう。あまりヒットせず、数週間でスクリーンから消えていったことを私は覚えている。もちろん私は劇場で鑑賞した一人である。いたく感動したことを覚えている。米国でも公開当初は低空飛行だったが、アカデミー賞で7部門にノミネートされたことなどで注目が集まり、その後20数年がたっても名作の一つとして名が挙がる作品となっている。
その「ショーシャンクの空に」が、6月17日から28年ぶりに劇場公開される。しかも、4Kデジタルリマスター版ということで、より色鮮やかなシャープな映像で楽しむことができると聞く。今から楽しみである。この報を聞き、久しぶりに観返したくなり、ホームシアターではあるが20数年ぶりに本作の世界に足を踏み入れてみた。すると、さまざまな伏線、そしてキリスト教的な世界観をベースに構成されているストーリーの巧みさに気付かされることとなった。
物語は、銀行の若き副頭取であるアンディ(ティム・ロビンス)が無実の罪(殺人)でショーシャンク刑務所に収監されるところから始まる。刑務所には、警棒をやたらと振り回す暴力的な主任刑務官、いつも聖書の言葉を引用しながら囚人たちを見下す冷酷な所長らがおり、その中で生活することになるアンディには幾多の試練が襲ってくることになる。
やがて刑務所内でレッド(モーガン・フリーマン)という「調達係」と仲良くなったアンディは、次第にショーシャンク刑務所の生活に慣れていく。そして持ち前の頭脳明晰さで頭角を表し、刑務所内でなくてはならない存在になっていく。囚人たちが自由に本を読めるスペースを確保したり、高卒認定の資格を彼らに取らせたり、さらには所長や監視員らの経理をも密かに担当するようになっていくのだった。
しかしやがて明かされる彼の「真実」は、それまでの彼の刑務所内での所業が何のためだったかを人々に知らしめることになる。それは、誰も想像もできないアンディの壮大な「計画」だったのである。この大どんでん返しに人々は驚愕(きょうがく)し、囚人たちは歓喜するが、監視員たちは震撼(しんかん)するのだった――。
「ショーシャンク」という町は実在しない。つまり架空の場所である。そこに刑務所があり、多くの囚人が収監されている。映画評論家の町山智浩氏は、この刑務所という舞台を、私たちの人生そのものを寓話(ぐうわ)的に表現したものと見ている。つまり、現代社会の縮図がこの架空の刑務所ということになる。架空であるからこそ、どこにでも存在するということであろう。
そして、この刑務所内に収監されている囚人たちは、皆「自分は無実だ」とうそぶいている点も特筆すべきポイントだろう。本当は悪いことをしているのに、悪人だからこそ「自分には罪はない=無実だ」と主張しているのである。これなど、聖書が語る罪性を抱く人間の赤裸々な姿と重なるところである。囚人の彼らは、その罪性の故に希望を失い、そして「希望を持つことすら意味がない」という状態に落とし込まれているのである。
ここに、本当に無実の主人公アンディがやってくる。罪ある世界に、罪なき存在が放り込まれるというわけだ。そして彼は、希望なき人々に生きる喜びを与え、さらに彼らを取り締まる側の人間(監視員や所長ら)をも魅了していく。
ここまで語ればもうお分かりだろう。このアンディこそ、イエス・キリストがモチーフとなった人物といえる。映画最大のクライマックスで、アンディが大嵐の中、両手を左右に広げて天を仰ぐシーンがある(映画のポスターにもなっている)。これなど、十字架にかけられたイエス・キリストを彷彿(ほうふつ)とさせるシーンである。
本作の原題は「The Shawshank Redemption(ショーシャンクの贖〔あがな〕い)」である。Redemption はよく用いられるキリスト教用語である。私たちの身代わりとして、罪の代価(罰)を受けてくださったイエス・キリストによって、私たちは「贖われた」というような用法が一般的である。本作はこのモチーフを人間ドラマに落とし込み、希望を失った人々が絶望のさなかで真の希望を見いだす物語として昇華させている。
同時に、刑務所内でやたら聖書を振りかざし、御言葉を説きつつも、その裏で悪事を働いていた所長には、見事な「天罰」が下される。これは、新約聖書における律法学者やパリサイ人だろうか。いろいろ想像しながら、あれこれと語り合う楽しさを与えてくれる名作である。
20数年ぶりに観返したとき、一つの聖書の言葉が浮かんできた。
それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(ローマ5:3~5、新改訳2017)
多くの人は、現代社会を「希望なき世界」と見てしまう。そういったつらい現実は確かに否定し得ない。しかし、だからこそ希望を高らかにうたい上げる本作は、公開から年月がたてばたつほど人々の心に刺さる映画となっているのだろう。取り上げた聖書の箇所は、物語の主人公アンディが体験し、そして見いだした希望の世界を言い表している。本作のナレーターを、モーガン・フリーマン演じるレッドが担当しているのも、イエスの生涯を、語り部として弟子たちが「福音書」に書きあらわしたのと似ていて面白い。アンディ自身の独白ではなく、彼と共に過ごした者がアンディを語るのだから。
まさに本作は、聖書における「福音書」の役割を果たしている。そして、人々が本作を名作として何度も観返し、口コミでレビューが増え続けているのは、次のことを指し示しているといえないだろうか。
人は聖書的な希望を理解できる。そして、その希望を求めて、「ショーシャンク刑務所」に何度も訪れるのだ。アンディを通して「救い」を得るために――。
私も大きなスクリーンの前で、普遍的な希望の物語を堪能すべく、劇場へ足を運びたいと思っている。
■ 映画「ショーシャンクの空に」(4Kデジタルリマスター版)予告編
■ 映画「ショーシャンクの空に」(4Kデジタルリマスター版)公式サイト
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