2022年6月24日は、米国史に刻まれる日となるだろう。米連邦最高裁はこの日、1973年に下された「ロー対ウェイド」裁判の判決を覆し、中絶する権利は憲法が定めるものではないと結論付けた(この件に関しては、また後日まとまったものを提示したいと考えている)。この議論の対立点は、「命は誰のものか」ということになる。言い換えれば、「誰が命を扱っていいのか」ということである。胎児を宿した「母親(女性)」か、それとも「胎児それ自体」に帰すべきなのか――。
このような命をめぐる議論に深く関わる映画が、日本で相次いで公開された。公開時期は前後するが、命の始まりとその終わりという時系列で考えるため、まず「ベイビー・ブローカー」(6月24日公開)を取り上げたい。
「ベイビー・ブローカー」
今年の第75回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品された作品で、監督は是枝裕和、主演はソン・ガンホ。4年前の第71回カンヌ国際映画祭で、最高賞のパルムドールを「万引き家族」で受賞した是枝監督が、韓国の大スター、ソン・ガンホとタッグを組んで作り上げた最新作が本作である。今回はソン・ガンホが最優秀男優賞を、作品自体はエキュメニカル審査員賞を受賞している。
物語は、何らかの事情で育てられない赤ちゃんを匿名で預かる「赤ちゃんポスト」が置かれている教会から、秘密裏に赤ちゃんを連れ出し、子どもを欲しがっている夫婦へ引き渡す裏家業「ベイビー・ブローカー」に手を染めているサンヒョン(ソン・ガンホ)とドンス(カン・ドンウォン)が、一人の新生児を手にしたところから始まる。彼らはいつものように、この赤ちゃんを買い手のところへ届けようとするが、何とその前に、赤ちゃんの母親が現れる。赤ちゃんを盗んだことがバレることを恐れた2人は、この母親を連れて赤ちゃんのもらい手を探す旅に出ることになる。
一方、頻発する「赤ちゃん誘拐事件」を追っていた女性刑事2人は、サンヒョンとドンスを尾行し、赤ちゃん売買の決定的瞬間に彼らを逮捕しようとしていた。追う者と追われる者、赤ちゃんを売ろうとする者とそれを手にしようとする者。この対立軸が次第に崩れていく様をカメラは追っていく。ドンスがかつて過ごしていた孤児院から、一人の少年がこの旅に加わったことで、サンヒョンらはまるで「家族」のような温かい交流を始めるが、物語はさらなる急展開を迎えることになる――。
本作の肝となるのは、是枝監督もインタビューで語っているとおり、やはり物語の中心に存在する赤ちゃんである。この子は一言も発しない。そして、さまざまな大人に抱っこされる。しかし、次から次へと、たらい回しのように手渡され、それと同時にこの子の運命も大きく変化していくことになる。
考えてみると、私たちもこのような時期を経て、「赤ちゃん」から物心つく「子ども」へと成長し、時とともに「大人」になっていく。映画を観ながら、もしかしたら私も、自分の運命を左右する「手」に抱かれてどこかへ運ばれていたのかもしれない、と思わされた。それは決して気分のいいものではない。「疑似家族モノ」として見るなら、「万引き家族」と同じようなストーリーをなぞっているようにも見えるだろう。しかし本作は、「命は誰のもの?」という問いを、生まれたばかりの赤ちゃんの寝顔や笑い顔を通して突き付けてくる社会派ロードムービーである。
「PLAN 75」
一方、「静かな最大級の衝撃」という言葉を冠してもいい作品が「PLAN 75」(6月17日公開)である。監督は早川千絵。彼女は奇しくも、前述した「ベイビー・ブローカー」の是枝監督が初めて総合監督を務めたオムニバス映画「十年 Ten Years Japan」の第1編である、本作と同名の短編映画の監督である。ここで評価を受けた早川監督が、長編作品として新たに構成したヒューマンドラマが本作である。
超高齢化社会が到来した近未来日本。若者たちが高齢者を襲う事件が頻発したことに端を発し、75歳以上の高齢者に自ら死を選ぶ権利を保障し支援する制度「プラン75」が導入されることになる。もしも「死ぬ権利」を公的に保障する社会が日本に生まれたら?という、空恐ろしい「もしも」をリアルタッチで描き出しているのが本作である。日本社会がその制度に振り回され、人生のゴール間近で「命は誰のもの?」と問わざるを得ない「私たちの未来」を淡々と描く本作は、具体的な恐ろしい出来事が起こらないからこそ、その底流に流れる「あらがえない死へのいざない」に背筋が寒くなってしまう。
職を失い、「プラン75」の申請を考え始める主人公の高齢女性を倍賞千恵子が演じ、「ビリーバーズ」の磯村勇斗、「由宇子の天秤」の河合優実ら、新進気鋭の個性派俳優陣が脇を固めている。彼らの中にいつしか生じる「心のノイズ」は、いつしか私たち鑑賞者の心にも広がっていく。スクリーン上では何もひどいことが起こっていないにもかかわらず、目をそむけたくなるような気持ち悪さが全編を覆っている。だが、それを見据えなければならない。なぜならこれは、確実に近い未来に起こり得ることだからである。命は、たとえ自らの命であっても、人間がそれを「操作」していいのか。本作は、そういった問いを突き付けてくる。同じような感覚に陥った作品として、カズオ・イシグロの同名小説を原作とした「わたしを離さないで」がある。これも併せて鑑賞すると、さらに落ち込むこともあるかもしれないが、命の尊さを考える機会にはなるだろう。
このように命をめぐる作品が、ハリウッド大作の陰でつつましやかに公開されている。ぜひ鑑賞し、友人・知人と語り合ってもらいたい。ひとたび語り合えば、それはきっと、聖書が語る生命観や人間観をシェアする機会となるだろう。
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