本作は、2020年に本屋大賞を受賞した凪良(なぎら)ゆう著の同名小説を、「悪人」「怒り」などの社会派スリラーで「人が他者を信じることの困難さ」を世に問い続ける李相日(リ・サンイル)監督が完全映画化した作品だ。本作の撮影監督であるホン・ギョンピョは、「パラサイト 半地下の家族」「バーニング 劇場版」などの撮影に携わった韓国映画界の第一人者である。映画のレビューで撮影監督に触れるのはこれが初めてであるが、それくらい彼の存在なくしては成立し得ない「あるシーン」が本作にはある。そして、そのシーンで初めて「流浪の月」というタイトルの意味が分かる作りになっている。
主演は、今最も注目されている売れっ子の2人、広瀬すずと松坂桃李。しかし、きらびやかなスター性を一切排し、人の目に触れない影のような存在を見事に演じている。共演は横浜流星、多部未華子ら。彼らもまた、今までのイメージをかなぐり捨てるような演技で新境地を開拓している。
本作は、雨が降りしきる中、公園のベンチにポツンと座り込んでいる少女・更紗(さらさ、広瀬すず)と、彼女を家に招き入れた孤独な大学生・文(ふみ、松坂桃李)が出会うところから始まる。更紗にはどうしても家に帰りたくない事情があり、文はそのことを知ってか知らずか、彼女に居場所として自分の部屋を提供する。奇妙な共同生活はひと夏続き、互いに相手の存在を自然に受け入れ合えるようになっていく。しかし、その幸せは突然終わりを告げる。池で水遊びに興じていた2人のところに警察がやってきたのだ。強制的に引き離されてしまう2人。そして文は「誘拐犯」、更紗は「被害女児」にされてしまうのであった。
15年後、それぞれの生活を歩み始めていた2人だったが、突然再会してしまったことから、物語は動き出す。更紗は文に対して、ある罪責感を抱いていた。それは警察の取り調べを受けたとき、文の存在や彼との共同生活について十分な説明をすることができなかったことである。更紗がまだ小学生だったため、大人は誰も彼女の話を真剣に取り合ってくれなかったのである。そして「変態ロリコン青年が女児を言葉巧みに家に連れ込んだ」というストーリーを作り上げてしまった。更紗は自分の至らなさから大人のストーリーに同意し、文を犯罪者にしてしまった、と後悔していたのであった。
一方、文はそんな更紗の言動を決して恨んではいなかった。だから2人は再び急接近し、互いをいたわり合う関係を再開することになった。だが、更紗にも文にも恋人がいたため、2人の関係は世間一般でいう「浮気」や「洗脳」(文が更紗をいまだにマインドコントロールして操っている)として疑われ始め、やがてネットなどで面白おかしく書き立てられていくのだった。そしてついに、決定的な破局が訪れることになる――。
私たちは日々、多くの「事件」に遭遇する。新聞やテレビ、SNSを通して、世界各地で起こった「事件」を知ることになる。しかし、私たちが見聞きするほとんどは、第三者によって再構成された「事件」である。そして多くの場合、ステレオタイプのレッテル貼りによって当事者の声が封殺されている。本作では更紗が、自分はそんなにかわいそうな子なの?と問うシーンが印象的だ。恋人や周りの人から少し腫れものにでも触るような扱いを受けることで、彼女の中に違和感が募り始める。そもそも文は、自分に「変態行為」などしていないし、自分は誘拐された「被害女児」ですらない。しかしそう訴えても、周りは再構成された「事件」の枠内に自分たちを押し込め、当事者ですらそこからの逸脱を許そうとはしない。そんな中での葛藤や苦しみを本作は描いている。
昨今、「差別」という言葉がとても力を持ち始めている。かつては「人種差別」とか「女性差別」という言葉が叫ばれ、最近ではジェンダーに関するセンシティブな事柄にも「差別」という言葉が入り込んでいる。確かに歴史的に見るなら、他者との差異をことさら強調し、相手を自分とは異なるという理由でおとしめる言動は許されるべきではない。
だが一方、「これは差別だ」と声高に叫ぶ側はどうだろうか。当事者の話を聞く段階からすでに色眼鏡をかけ、カテゴライズしてしまっていることはないだろうか。特にマスコミやツイッターの情報を拡散する「正義の味方」たちは、この危うさを自覚しているだろうか。私自身も、情報発信する側に立つこともある者として、自戒を込めて問わなければいけないことだと思う。
本作の終盤で、事の真相が明らかになる。おそらく、こうした作品の定石といっていい。その場面において、上述した撮影監督、ホン・ギョンピョの見事な手腕によって、観客である私たちの頭はガツンと殴られたような衝撃を受けるだろう。これは「赤い原罪」のラストシーンにも共通する「当事者の生の声」である。
観終わって、次の聖書の言葉が浮かんだ。
最後に、兄弟たち。すべて真実なこと、すべて尊ぶべきこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて評判の良いことに、また、何か徳とされることや称賛に値することがあれば、そのようなことに心を留めなさい。あなたがたが私から学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを行いなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。(ピリピ4:8~9)s
本作は、周囲から理解されない「傷」を負った者たちの物語である。更紗も文も、決して人々から注目される「太陽」ではない。むしろ、ぼんやりと不安定なたたずまいでさまよう、まさに「流浪する月」といえよう。しかし、どんなに小さくはかない存在であったとしても、人工的に生み出されたステレオタイプに収斂(しゅうれん)されてしまうことに対しては、自らの尊厳をかけてあらがうのである。そんな市井の人の生きた証しの物語だからこそ、鑑賞後も私たちの脳裏から離れない余韻を残してくれるのだろう。マイノリティー、ジェンダー、SNS、国家権力など、さまざまな現代性を帯びるトピックスを見事に配剤した傑作である。
■ 映画「流浪の月」予告編
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