人工妊娠中絶を女性の権利として認める最高裁判決が覆えされる可能性が高まったとして、今米国ではこの問題の議論が沸騰している。
これは米政治専門紙のポリティコが、妊娠中絶を女性の権利として認めた1973年の「ロー対ウェイド判決」を無効とする保守派多数判事らの意見書草稿を入手し、5月2日に報じたことに端を発して起きた。リークした意見書草稿は、最高裁が妊娠15週目以降の中絶を規制するミシシッピー州法の合憲性を審理する段階で作成されたものだ。
最高裁判事のジョン・ロバーツ長官は、草稿は最高裁の決定を表したものではなく、判事のいかなる最終的な立場をも示していないとしながらも、これが本物であることを認めた。長官は、これによって司法の判断が影響を受けることはないと断じ、機密漏えいの責任を追求し、調査の徹底を指示したと述べた。
一部では、ガソリン高騰や急激な物価上昇などの経済の失策によって支持率が低迷しているバイデン政権および民主党側が、秋の中間選挙を見据えて、次期選挙の争点を「中絶問題」にずらすために、今回の漏えいを画策したのではないかとの憶測が飛び交っているが、真相は定かではない。
最高裁の判断が下されるのは6月下旬から7月上旬ではないかといわれているが、仮にこの草稿通りの判断が下されたとしても、それで全米で中絶が規制されるということではなく、連邦憲法による中絶の権利の保護が終わり、代わりに、中絶の規制に関しては各州の判断に戻すということだ。その場合、およそ24〜26州が中絶を規制すると見られている。
文書の漏えい後、プロチョイス派(女性の中絶選択推進派)は、ロバーツ長官やアリト判事、カヴァノー判事自宅前で抗議デモを行い、保守派判事らにプレッシャーをかけている。
そこでプロチョイスを支持する民主党およびバイデン政権はいち早く動き、たとえ連邦最高裁が「ロー対ウェイド判決」を覆したとしても、全米で中絶の合法性を保証する法案「女性の健康保護法」の成立をもくろんだが、5月11日の連邦上院議会の採決では、49対51で否決された。この法案は単に「ロー対ウェイド判決」を成文化したものにとどまらず、500ものプロライフ的州法を帳消しにできるほど急進的な内容だった。
米国では選挙のたびに、候補者がプロライフ派(胎児の生命尊重)なのかプロチョイス派なのかが問われ、重要な投票指標となる。これは米国人口の3割近くを占める福音派の宗教観が影響しているためなのだが、同時にこれは宗教観の問題にとどまらず、生命倫理を問う普遍的価値観の問題でもある。
現に世俗化の著しい欧州39カ国においては「宗教観」というよりも「命の尊重」という観点から、米国よりも厳しい妊娠15週目以降の選択的中絶を規制している。米国は世界198カ国中、妊娠20週目以降の選択的中絶を認めているわずか7カ国の一つで、中国や北朝鮮と並ぶプロライフ後進国という位置付けになるのだ。
プロチョイスを支持するのは、主に米国の左派リベラルなのだが、彼らの論拠は「女性の人権、女性の権利」を強調し、弱者たる女性の保護を主張する。しかし、この議論で決定的に欠落しているのは、最も弱い立場にある「胎児の人権」だ。胎児は、妊娠のどの段階にあろうとも、完全に一人の人間としての存在であることに間違いはない。弱者の観点でいうのなら、まさに胎児こそが最も保護を必要とする弱者だ。さらに言えば、女性の権利と主張されるのは「自由選択権」なのに対し、胎児のそれは「生存権」であるわけだから、前者と後者の権利とでは重さが全く異なる。
左派リベラルは「弱者の人権保護」で一貫しているのではなく「反聖書」で一貫しているのだ。中絶を女性の権利とするフェミニストにしても、LGBT擁護派にしても、彼らが問題視している根幹にあるものは、幾世代にもわたって西洋の倫理や道徳、社会システムの形成を担ってきたキリスト教的価値観であり、もっとピンポイントに言うなら、彼らは聖書的「家父長制」に元凶があるとしてこれを攻撃している。
当然、人それぞれ多様な人生があることを否定しないが、聖書は基本的に、女性が子どもを出産し、慈しんでこれを育て家庭を守る姿を女性の特権として描いている。男と女は違う機能、違う役割が与えられているが、愛という完全な帯で結ばれ2人で一体、これが神のオリジナルデザインだ。
しかしこの世の価値観は、聖書的女性像を、女性が男性と対等になることを妨げる足枷、ペナルティーであるかのようにうそぶき、男VS女という対立構造に落とし込む。子どもをみごもり出産することはペナルティーではなく、特権であり祝福なのだ。ここに、敵のうそと欺きがあることを見抜くめざとさが必要だ。
73年の「ロー対ウェイド判決」以降、米国では6346万件の中絶によって無辜(むこ)の胎児が殺(あや)められた。加えて中絶は2年連続で世界死因の第1位となっており、2021年には約4260万人の命が中絶によってその無限の可能性を絶たれた。あまりに日常的なために感覚が麻痺してしまっているが、これは現代社会で公然と行われている恐ろしいジェノサイドだ。
キリスト教系のプロライフ各団体は、啓発活動を通じて人々の理解を深めるために日々奮闘している。また法的な規制の強化を叫ぶとともに、不慮の妊娠をしてしまった若い女性たちへのサポートやケア、里親制度の拡充のためにも労を惜しまない。
さらに根本的な問題にさかのぼるなら、現代の家庭の崩壊や乱れた性倫理に原因を求めることができる。これら倫理観の廃退の立て直しで、われわれの信仰に期待される役割はあまりにも大きい。
現在米国最高裁判事9人のうち6人が保守派で、リークした草稿によれば、そのうちの少なくとも5人は「ロー対ウェイド」を支持しない。保守派判事らが考えを変えることなく「ロー対ウェイド」が覆されるように祈ろう。
主の目は、一人一人の胎児に注がれている。プロライフ派もプロチョイス派も「命の尊さ」という共通の根本基盤に立ち返り、一人でも多くの胎児の命が守られるように祈ろう。またそのために尽力するキリスト教信仰に基づくプロライフ団体の活動のために、そしてそれを通じて救霊の実が結ばれるよう祈っていただきたい。
■ 米国の宗教人口
プロテスタント 35・3%
カトリック 21・2%
正教 1・7%
ユダヤ教 1・7%
イスラム 1・6%
無神論 16・5%