2004年3月と06年11月の2回、私たちは北京郊外の房山区三盆山中腹に、元代の也里可温(エリカオン)教の十字会堂遺跡を見学した。高速道路を走り、途中に北京原人遺跡のある周口店の案内看板があり、高校の歴史で学んだことが懐かしく感じた。
期待を膨らませつつ、三盆山に到着した。山道を登りながら、風は少し冷たいものの、木の枝からピンク色かかった多くの花が咲いているのを見て春を感じた。
40分ほど登ったところに会堂跡が見え、手前には一軒のトタン屋根で覆った家があり、鶏が放し飼いしてあった。数頭の番犬が、私たちを歓迎してくれているかのように吠え続けていた。そこの住人の男性にあいさつをして、遺跡に向かった。
(図の①は地図、②入り口付近、③全景、④十字碑の頭部、⑤題字部分)
十字寺碑を目の当たりにするや、高くて大きい碑に圧倒された。これが見たいと願っていた十字寺碑、大変立派な石碑であった。裏手には銀杏の大木が立ち、その先には大秦景教流行中国碑の模刻碑が建っていた。
ガイドさんにお願いして拓本したいと言ったら、あいさつした隣家から長い脚立を借りてきてくれて、碑頭の十字部分を採拓することができた。
この碑の題字は「勅賜十字寺碑記」で、碑陽部分には多くの漢字が刻まれていた。かつてこの地に設置されていた、シリア語と十字が彫られてその4カ所にシリア語で詩篇34篇5節が刻まれたものが、南京博物院に移送保管されたと聞いた。
あなたたちは彼(十字架の主)を仰ぎ見て希望を得よ。
ペシッタ版シリア語旧約聖書詩篇34篇5節部分
さらに特記すべきことは、元の時代にこの地域にいたソーマとマルコという2人の信徒についてだ。彼らは洞窟の修道院で生活していたとき、神に導かれて西アジアのイスラエルを見たいとの思いから旅立ったが、イスラエルは政治情勢が悪く訪問できず、スペインやフランス、ローマに行き、マルコはやがてバクダッドの地で東方教会の総主教になったということだ。
彼らは中央アジアから西アジアへ、そしてローマ、フランス、スペインを巡回し、バグダッドで生涯を終えた。マルコはバグダッドの南にあるセレウキア・クテシフォンで全東方教会の第58代総主教に就任した。東アジアの中国からリーダーが出たことには、モンゴル軍が西方アジアまで支配していたことが背景にある。バグダッドのリーダーたちは、マルコを総主教に立てることにより、モンゴル軍との関係で政治利用を考えたものと思われる。
帰路、隣家にあいさつしようとしたら、たくさんのゆでたての卵を下さって恵みを分かち合い、感謝をささげた。その後、私たち一行は北京の故宮博物院や万里の長城を見学し、空路で内蒙古へと旅立った。
※ 写真は川口が撮影。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
◇