私たち釧路正教会では2月27日の日曜日の公祈祷から、「ウクライナに於(おけ)る戦に因(よ)りてその生命(いのち)を失いし者の爲(ため)、主我等(われら)の神が憐(あわれみ)を以(もっ)て彼等(かれら)を顧み、病(やまい)も嘆(なげき)も無き處(ところ)に安んぜしめ、永遠の生命を賜(たま)わんが爲に祷(いの)らん。又、苦に遭い、傷を受け、憂い、或(あるい)は徒(うつ)されし者に慈憐(じれん)、生命、平安、壮健、救贖(すくい)を賜わんことを祷る。又、戦を止め、彼處(かしこ)に和平と平安の栄えんが爲に祷る、爾(なんじ)に祷る、聆(き)き納(い)れて憐(あわれ)めよ」との祈祷を加えています。
大阪正教会(大阪府)では26日晩と27日の祈祷に、「熱衷(ねっちゅう)祈祷」という特別な祈祷をウクライナの人々のためにささげました。人吉正教会(熊本県)では27日の説教で、「教会はどちらの味方もしない。正教会は国家の下部組織ではない。教会は戦争に反対しており、速やかに戦争が終わることを祈っている」と訴えられました。前橋正教会(群馬県)は、「嫌がらせを受けたウクライナ人を受け入れられるか」との市からの要請を快諾したとのことです。
私たち日本正教会はウクライナのために祈っております。そして、困窮するウクライナの人々への援助を惜しみません。
日本正教会がロシアのウクライナ侵攻に対して沈黙していると言われます(3月10日に声明を出しました)。実際、これまで日本正教会は政治に関わる発言を避けてきました。その理由を簡単に述べさせていただきます。
ロシア人修道司祭ニコライ(後の亜使徒主教聖ニコライ)によって伝道され、1873(明治6)年のキリスト教解禁からの30年で信徒数3万人を超えていた日本正教会の成長は、日露戦争、ロシア革命などによる対ロ感情の悪化から停滞します。1904年の日露戦争開戦前後には、日本各地の正教信徒たちが「露探(ロシアのスパイ)」と責められ、迫害されました。1917年からのロシア革命では、無神論政権によって正教会は大迫害を受けていたにもかかわらず、日本正教会は「ソ連のスパイ」であるとの中傷を受けるようになります。第2次世界大戦中は共産革命政権の迫害から逃れてきたロシア人やウクライナ人信徒(いわゆる白系ロシア人)たちが、なぜかスパイ嫌疑をかけられて特高に連行されることも多発しました。大主教ニコライの後継者としてロシアから来ていた府主教セルギイも、憲兵隊の拘束による衰弱から、終戦5日前に亡くなっています。
第2次大戦後、日本正教会は1972年まで米国正教会から代表者を招聘(しょうへい)していましたが、ソ連の手先であるとの誤解をしばしば受け、タクシーでニコライ堂に行こうとしたら乗車を拒否された、などという話はよくあったそうです。
他のプロテスタント、カトリック教会も、第2次大戦中は大小の迫害、嫌がらせを受けたことがあると思います。しかし、日本正教会は日露戦争の頃からソ連崩壊まで、長い間誤解され、しばしば不利益を被ってきたのです。そういった経緯から、日本正教会の関係者はできるだけ、政治問題とは無関係であるとの姿勢を取ってしまうのだろうと思います。
しかしながら今回のロシアによる軍事侵攻は、死傷者、特に民間人の犠牲者を多数出した時点で、もはや政治問題ではなく、人道上の重大な問題になったと考えます。政治問題であれば、善悪は一方の見方だけで決めつけるわけにはいかない。しかし、人道上の問題はまったく別の話です。誰にとってもかけがえのない生命、すべての人に神が平等に与えた生命の尊厳を暴力的に奪う行為は絶対に許されるものではありません。そのことは日本正教会としてもはっきりと表明するべきだと思います。
もちろん、今回のウクライナ侵略だけではなく、日本正教会はすべての戦争に反対しています。「和平を行うものは福(さいわい)なり、彼等神の子と名づけられんとすればなり」「剣を執る者は剣にて滅び」るのです。ですから、私たちは普段から常に、「全世界の安和」「天下泰平」のための祈りを欠かすことがありません。私たちは祈りの力こそ最も強いものであると信じており、社会に向けて声明を出すよりも、神に向かって憐(あわ)れみを乞い願うことを優先してきました。
この戦争に対し、ウクライナのさまざまな宗教者・宗教界の奮闘と祈りが伝わってきています。私たち日本正教会と交わりのある、モスクワ総主教庁のもとにある府主教オヌフリイを中心とするウクライナ正教会も、ロシア軍の侵略をはっきりと非難し、自分たちがウクライナ政府とウクライナを守る軍隊、そしてすべてのウクライナ国民の味方であることをはっきりと表明しています。そうしてモスクワ総主教庁のもとにあるか、そうでないかに関わりなく、亡くなった兵士と一般市民のために祈り、困窮するすべての人たちに食料や必要物資を提供し、教会や修道院では24時間門戸を開放して精神的ケアに努めておられます。
そしてモスクワ総主教キリル聖下に対しては、ウクライナでの流血を止めるためにロシア当局に強く働き掛けてくださいと訴えておられます。また、ゼレンスキー大統領とプーチン大統領に、兄弟民族間の武力対立を終わらせ、停戦交渉を進めるようお願いしておられます。私はオヌフリイ府主教座下を中心とするウクライナ正教会の働きに寄り添いたいと思います。
双方が憎悪を募らせていく間にあって、和平のために働くということは大変に困難なことです。「橋は両方から踏まれる」と言われます。しかし、ウクライナとロシアの両方のルーツを持つ人々はとても多いのです。ウクライナが独立国家であることは確かなことですが、歴史的に同じルーツを持ち、常に交流し、言語も類似し、共通の文化も多く、同じ正教を奉じていることも確かです。ウクライナとロシアのハーフというある方は動画を公開し、「家族の中で戦争が起きている感じ」だと話していました。対立を煽(あお)るのではなく、橋を架けていくことがウクライナとロシアのために本当に必要なことではないでしょうか。
そして、悪い相手を徹底的に打ちのめせば正義は実現するのでしょうか。たとえそうだとしても、そこに至るまでに無辜(むこ)の民の血がどれだけ流されるのでしょうか。
日本でロシアの食品などを扱っている店舗の看板が破壊されたそうです。しかし、その店の代表者はウクライナ人でした。一方的な正義感を振りかざした人によって、このような過ちが犯されました。勘違いで看板を破壊されたこのお店の代表者は、「私たちは日本とウクライナ、ロシア、その他の国々との懸け橋になりたいという気持ちで働いています。早く両国に平和が訪れて、お互いの国が仲良くなることを心から望んでいます」と述べておられます。感銘を受けます。
ロシアにも多くの善良な市民が暮らしており、戦争反対の声を上げる人たちも大勢いると伝えられています。太祖アブラハムは、10人の正しい者がいたならば、ソドムの街を滅ぼすことは正しいことでしょうか、と神に訴えました。一刻も早い停戦のために働き掛けることこそが、最優先すべきことではないでしょうか。
アンティオキア総主教庁、セルビア正教会、米国正教会など他の独立正教会も、ウクライナのために懸命に働きながら停戦を呼び掛け続けているオヌフリイ府主教座下の姿勢を支持し、救援のための援助を申し出、ロシア正教会がロシア当局に停戦を強く呼び掛けるように促しています。
私も一人の正教徒として、一人の人間として、及ばずながら、ロシア軍のウクライナ侵略に抗議し、即時停戦を訴えたいと思います。「НЕТ ВОЙНЕ(戦争反対)!」