2011年から本紙の論説特別顧問を務め、本紙の発展に中心的な役割を果たしてくださったグレース宣教会の堀内顯(あきら)長老牧師が昨年12月11日、89歳で慢性腎不全のため帰天しました。堀内牧師を追悼し、本紙論説委員であるグレース宣教会の藤崎秀雄代表牧師に寄稿をいただきました。
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帰天から、あっという間に4カ月が過ぎて
2020年12月11日早朝に、堀内顯先生は安らかに帰天しました。翌日午後に「お別れの会」として、まずは教会員にグレース大聖堂の礼拝堂を開放し、感染対策を徹底した上で、堀内先生のお顔と、シールド越しに明子夫人と親族にあいさつしていただく機会を持ちました。教会員を中心に800人近くが三々五々訪れてくださいました。さらにその翌日の日曜日には礼拝後、牧師チームと責任役員会とそのOB(長老とアドバイザー)が奉仕者として関わり、家族と親族中心の葬送式(天国歓送礼拝)を行い、午後3時前には出棺し斎場にて火葬。収骨後自宅にて遺骨を安置しています。
この葬送式は、まずは教会の皆様のためにユーチューブで配信しました。しかし各方面からの要望もあり、すべての方に公開しました。それから4カ月がたって、再生回数は日本語版が2600回(途中1000回目で再配信)、英語版が930回、韓国語版が380回と多くの皆様方へご提供できたようです。
次の合同記念会は「神様の御名をあがめる記念祭」?
現在はできるだけ早い時期に、堀内先生が設立に関わった社会福祉法人キングスガーデン三重、一般財団法人日本国際飢餓対策機構(ハンガーゼロ)と合同での記念会を行う準備を始めています。これは、誤解されている方もいるかもしれませんが、堀内先生の遺言に従い、先生の名を売るためではなく、キリスト様の御名があがめられること、キリスト様を信じてその恵みに預かる方々が起こされることを願い行うものです。すこぶる明るく、信仰者として最高の栄誉である帰天です。喜びと感謝を神様にささげて福音を伝える機会です。先生のご親族の中には未信の方々もおられました。願わくは、ユーチューブを見ておられる方々の中からも、救われる方が起こされるようにと願って式を行いました。
またこれは、教会のメンバーにとっては新たな出発です。われわれの教会の働きは堀内先生の働きではなく、神様の国の働きです。次の時代の若い方々にバトンが渡されていく働きです。そんな思いでグレース宣教会は働きを進めています。
世界中、日本中の真実な友、神様の家族の皆さんに感謝して
お見舞いの来訪者も数多くお見えになり、感染対策を施しての対応でしたが、さまざまな方々がお部屋を訪れてくださいました。関東からも親友の西本一雄先生、日本福音自由教会教役者会会長の岩井基雄先生、広島から拝高真紀夫先生、堺大浜の親友である唄野隆先生家族、海外からはロジャー・ウィルモア先生をはじめ、さまざまな宣教師、牧師先生方がLINEビデオやその他の通信手段で可能な限り交わりをしてくださいました。ウィルモア先生は毎日の電話、毎週の手紙と真実なご愛に感謝しています。世界中の方々がつながりを持ってくださったことに感謝します。多くの兄姉に祈っていただき、こんなにもたくさんの方々の愛の志も頂き、堀内先生はゆっくりと安らかに帰天しました。果敢に挑戦する堀内先生の地上生涯は神様の恵みでした。
「弥次喜多道中」だったGMセンターでの3カ月間の共生
堀内先生が地上生涯を全うする場所は、どこか。自宅ではなくグレース宣教会の大聖堂に隣接するグレースミッション(GM)センターのゲストルームを示されました。共生の理念で建てられたGMセンターのゲストルームは、6畳間よりも狭い一部屋です。明子夫人は右膝の痛みが限界となり、堀内先生の入院とともに夫人も人工関節置換手術を受けられ、その直後でしたから自宅は断念しました。三重の共生園の可能性も検討しましたが、透析治療中であり、また特にコロナ禍でもあったため、大阪から送ることは断念しました。
3カ月余りの期間を24時間体制で、あの堀内先生のすべてを介護するとは思いもよらないことでした。しかも退院直前に手足が動かせない状態となり、その始めから難易度が高く、先生は惜しげもなくわれわれ牧師たちに文字通りすべての介護を任され、最後は睡眠中も寄り添うところまで関わりました。支えてくださったのが、ケアプランセンターで働く姉妹や役員たち、そしてママさんこと明子夫人でした。信徒の皆さんも実によく支えてくださいました。婦人の牧師と牧師夫人たち、婦人会の有志が食事の準備とその介助を担当。プロフェッショナルな方にも助けていただき、訪問入浴、訪問リハビリ、訪問看護と共に、誰かが必ず寄り添って先生の一瞬一瞬の必要に応答した24時間体制での介護は徹底していました。そんな牧師たちを信徒の皆さんが物心両面でサポートしてくださいました。本当に感謝します。
介護開始から3カ月を過ぎようとする11月末に、新型コロナウイルスの感染拡大の最中、われわれ牧師たちが罹患の可能性も高く、チームがクラスターになる恐れもあり、そろそろ限界点に達しようとする中で、淀川キリスト教病院系列のサービス付き高齢者向け住宅「かんご庵」を紹介され、12月1日に堀内先生を送り出しました。かんご庵は感染対策も徹底されており、安らかに静かに明子夫人や長女征子姉も付き添われ、プロの看護職員による終(つい)の住まいでの10日間を神様が導いてくださいました。先生も退院後90日間を見事に歩み通されました。
遺言と先生の生涯を見届けて、3つのこと
堀内先生の最後90日間は、すこぶる先生自身がご自分の最期を意識しての毎日でした。文字通りに遺言的発言を3つ遺されました。
1. キリストの教会は「共生の群れ」
生涯にわたり全人的に助け合い、支え合って生きる。実に最後の3カ月を、ご自分をモデルとして提供し、牧師チーム、役員会、教会の兄姉に最高の学習の機会を与えてくださったとの理解です。
2. 聖書の御言葉に生きる
どのようなことがあっても私たちは神様の御言葉に従って生きることです。堀内先生自身、病の床で頭が明晰な中で死と向き合い、手足が動かなくなる現実の中で、み言葉に生きる毎日でした。私も先生の痛み嘔吐(おうと)やさまざまな煩いの中で叫び祈りました。いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことに感謝し続けました。最後の瞬間まで御言葉に生きる毎日でした。
3. キリスト教会の使命は世界宣教
私たちの生活のすべてを通じて、キリスト様の福音を伝えることが私たちの教会の使命です。人の全人的な救いと癒やし、宣教の報告がいつも分かち合われ、人が救われたことの感謝の祈りをささげました。小さなゲストルームは共に生きること、御言葉に生きること、そして世界宣教の話題にあふれていました。
堀内先生を天に送った後、さらなる高嶺(たかね)を目指して私たちは新しい出発を始めています。
終わりに皆様方との主にあるお交わり、真実なお祈りに心からの感謝を申し上げます。これからも教会員一同、主にあって共に新たな歩みを続けています。万軍の神様に、その恵みと導きとに、心からの感謝と賛美をささげます。ハレルヤ!
「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」(コリント一2:9、新改訳2017)
2021年4月1日 イースターを前に
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