マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。・・・さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。・・・御使いは彼らに言った。「・・・きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」・・・羊飼いたちは・・・急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。(ルカ2:6~16)
コロナ禍の中、批判や中傷が多くなったように感じられます。私たちクリスチャンは、「福音」に生きたいと思いますが、皆様はいかがでしょうか。福音に生きるために、救い主イエス・キリストの福音を、自分のものとしてしっかり頂きましょう。イエス様が救い主としてこの世に現れてくださったことを最高の喜びとして受け止めてまいりましょう。そして、私たちは人々を喜びの渦に巻き込める者でありましょう。
今日の聖書箇所から、一つの言葉にこだわりたいと思います。今日読んだ箇所には、3回「飼葉おけ」と出てきます。今日、救い主イエス・キリストを「飼葉おけの救い主」と受け止め、3つのことを確認しましょう。
1. へりくだって低いところに来られた主
イエス様は、貧しい田舎町の「飼葉おけ」にお生まれになりました。私たちがクリスマスの劇をするときには、きれいな器を用意し、きれいな布をかけるでしょう。ですが、イエス様がお生まれになった飼葉おけは、みすぼらしく汚れていて、とても神の御子がお生まれになるにはふさわしくない場所でした。
「飼葉おけの救い主」に感謝しましょう。主はへりくだられたお方でした。神の御子イエス・キリストが、人の中でも最も貧しい立場にまでなられたのです。どれほどのへりくだり方でしょうか。とことんへりくだって私たちを愛すという、神様の強い御心の表れです。
2. 十字架の使命を持って来られた主
御使いが告げ知らせた救い主のしるしとは、布にくるまれて飼い葉おけに寝ておられるということでした。「救い主のしるし」、これはその後30年以上たって、何を預言していたのかが明らかになります。
イエス様の誕生には、どこか死をイメージするものがありました。「飼葉おけ」のぼろぼろの木の冷たさは、イエス様が命を捨てるために選ばれた十字架の冷たさに他なりません。やがて背負われる十字架の木の冷たさを、イエス様は赤子のうちから知っておられました。そして、茨の冠を被らされ、血まみれになったイエス様が十字架から降ろされたとき、人々は最期にお身体を布でくるんだのでした。飼葉おけの中には、私たちの罪を背負って十字架にかかり、ご自分の命を私たちのために捨ててくださった救い主がおられたのです。イエス様の誕生は事実であり、その誕生の時から、救い主としての十字架の使命を帯びておられたことを受け止めましょう。
3. 求める時にいつでも出会える主
御使いのお告げにより、「羊飼い」はイエス様を探し当てました。貧しくて、無教養な身分の低い羊飼いたちでも、探し出すことのできる救い主でした。もし、イエス様が王宮で生まれていたら、羊飼いたちは近づくこともできなかったでしょう。しかし主は「飼葉おけの救い主」になられたのです。そこなら羊飼いたちであっても、近づくことができ、探し出してイエス様とお会いできたのです。それは、私たちでもお会いできる救い主であるということを意味しているのです。
あなたの心の扉の外に、救い主は立っておられます。特別な準備はいりません。私たちが御霊の臨在を求めて「主よ」と祈るだけで、いつも「飼葉おけの救い主」が共にいてくださることに感謝しましょう。
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