キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名をお与えになりました。それは、イエスの御名によって・・・すべての口が、「イエス・キリストは主である」と告白して、父なる神がほめたたえられるためです。(ピリピ2:6~11)
私たちは、クリスマス(Christmas)の中心にイエス様がおられることを忘れてはなりません。コロナの影響で、なんとなく心が暗くなっているこの年末に、イエス様の温かい恵みと愛を届けたいと思います。祈りによって神様の恵みを頂き、心を明るく元気にして、体力と免疫力をアップさせましょう。心を委縮させるのではなく、感染症対策をしっかり行い、昨日も今日もいつまでも変わらない救い主イエス・キリストの恵みを頂きましょう。
2千年前、神の御子であるイエス・キリストが、救い主として現れてくださいました。御言葉を語り、神の御業を成し、そして私たちの罪をすべて背負って十字架で死んでくださいました。これにより救いの道が開かれ、永遠の命の希望が私たちに与えられました。イエス様が共におられるなら、病は癒やされ、仕事やお金、人間関係、将来のこと、どんな私たちの問題も、祈ることによって答えられます。
今日の聖書の箇所であるピリピ2章は、パウロの手紙の中で「キリスト賛歌」といわれています。救い主イエス・キリストの素晴らしさと、私たちが今もクリスマスを祝う理由を確認し、心から感謝しましょう。
1. イエス・キリストの決意
キリストは、ご自身を通して創造主なる神がどういうお方であるかを現すことのできるお方なのに、神の栄光、全知全能の神の在り方を捨てて、この世に来てくださいました。世間では、自然の成り行きや偶然で物事を受け止めることがあります。しかし、救い主イエス・キリストがこの世に来てくださったのは偶然ではなく、神の御心による御子イエス・キリストの明確な決意がありました。クリスマスは、私たちを救うためキリスト自らの決意が現れた出来事なのです。
2. イエス・キリストが現れてくださった事実
クリスマスは想像上の架空の話ではなく歴史上の事実であり、聖書の中心であり、クリスチャンの信仰の土台です。神が人となられ、人の姿と性質、苦しみ、悲しみまでも経験されました。
3. キリストによって与えられた救いの結果
イエス・キリストが十字架上で死んでよみがえってくださったことにより、救いの道が成就されました。イエスを信じると、私たちの罪はきよめられ、救いの実が与えられます。それによって、イエスの御名による祈りは聞かれます。この名による以外に救いはありません。主の名を呼び求める者はみな救われます。
4. 父なる神とイエス・キリストを賛美する
罪にまみれて死ぬべき私たちが、永遠の命へと移されました。イエス・キリストが私の主ですと褒めたたえ、賛美し、喜び、感謝する人生が与えられました。だから、クリスマスをお祝いし、イエス・キリストを褒めたたえるのです。イエス・キリストと今日も個人的につながっている恵みを新たにしましょう。
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