しかし、苦しみのあった所に、やみがなくなる。先にはゼブルンの地とナフタリの地は、はずかしめを受けたが、後には海沿いの道、ヨルダン川のかなた、異邦人のガリラヤは光栄を受けた。やみの中を歩んでいた民は、大きな光を見た。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照った。あなたはその国民をふやし、その喜びを増し加えられた。彼らは刈り入れ時に喜ぶように、分捕り物を分けるときに楽しむように、あなたの御前で喜んだ。あなたが彼の重荷のくびきと、肩のむち、彼をしいたげる者の杖を・・・粉々に砕かれたからだ。(イザヤ書9:1~4)
アドベントに入りました。アドベントには「主を待望する」という意味があります。ぜひイエス様の恵みを待ち望みましょう。特に今は新型コロナの第3波のニュースが連日伝えられていますが、悪いマイナスのものではなくて、私たちクリスチャンは、神様からの恵みを期待し、聖霊によって強められ、善き思いを心にたくさん携えて歩みましょう。
今日の御言葉は、この後の6~7節に明確に救い主イエス・キリストの誕生の預言がなされているため、クリスマスによく読まれる箇所です。この預言がされたのは、今から2800年ほど前の時代のことです。当時は王様が国を支配し、国同士では絶え間なく戦争が行われていました。いつ敵国から侵略され滅ぼされてしまうか分からない苦難の状況の中にいたイスラエルの人々に対して神様は、救い主が生まれること、この方がお生まれになるときに、この世に光、感謝、喜びが満ちあふれると預言を通して語られました。この救い主イエス様をお迎えするために、私たちは心の備えをしましょう。
1. いつも妥協せず生きる
聖書は、善か悪か、白か黒か常にはっきりとした世界観を持っていますが、日本人は、グレーで中途半端に妥協することが多いと思います。闇か光か、死か命か、のろいか祝福か、聖書の語る世界観は私たちに対してどちらを選ぶか問い掛けます。神様は、はっきりとした人生を選びなさいと語っておられますから、私たちは中途半端で、いい加減な自分から脱出させてくださいと祈り求めることが必要なのです。幸せに向けた歩みをしようとしても、出発点は自分自身です。このままでいいと妥協してしまっては、成長することも幸せを手にすることもできません。
2. 良いものを選びとる
私たちは、罪人の性質があり、どうしても悪いものに引っ張られやすいものです。今の世の中、人々にはすべてを知る権利があるといわれますが、知るとどうなるでしょうか? 最初の人アダムとエバに、神様はエデンの園のどの木からも食べて良いと言われました。どの木からも食べて良いと喜び、素直に神様の恵みに留まり続ければよかったのですが、善悪の木の実だけは食べてはいけない、と言われると、それがしたくなって、神様に逆らってしまいました。悪い事柄が報道されると、それはしてはいけない、と世の中が良い方向へ変わるかといえば、むしろ真似をしたりネタにした犯罪や小説が出てくるのです。最近の詐欺事件はその典型です。だから気を付けましょう。良いものを心に留め良いものを選びましょう。
3. イエス・キリストに目を留める
神が備えてくださった最高の良いものであるイエス・キリストに目を向けたいと思います。主は私たちのためにこの世に来てくださり、今も私たちの心に宿ってくださっていることを感謝したいと思います。この世の中の闇や悲しみや絶望に引き寄せられるのではなく、光を見つめましょう。そのために、祝福と救いの要であるイエス様を愛し信じ受け入れます、とはっきりと信仰を働かせましょう。これから冬の始まりですが、主よ、あなたから目を離しません、私がイエス様から祝福されることで周りのみんなも祝福されますと祈っていきましょう。
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