聖書を社会科学で斬る壮大な実験を試みた一冊
本書は例えるなら「骨の多い魚」である。しかも小骨だけでなく、知らずに口にしたら喉に刺さってしまいかねない大骨も多くある。では、食べにくいだけかと言うと、そうではない。骨の部分を丁寧に取り除き、著者の「斜に構えた言い回し」に慣れることで、骨と骨の間にある滋味豊かな「身」を堪能することができる。つまり、旧約聖書に対する新たな視点、刺激を多いに得ることができるということである。
本書は、筑波大学人文社会系教授を長年務め、昨年退官された同大名誉教授の古田博司氏による力作である。専門は政治思想・東洋政治思想史。その視点から、古田氏が青年時代に読み始めた聖書、特に旧約聖書を社会科学の立場から解釈すると、どんな絵が見えてくるかという面白い試みである。
本書の冒頭で、古田氏は明確に聖書と社会科学の関係を述べている。
言うまでもなく、聖書は神話部分と記録部分からなっている。それを見分けるには、社会科学を用いなければならない。社会科学は記録の事実を矛盾なく因果ストーリにまとめ、情緒的価値判断をできる限り除くことにより、科学の名に値するものに近づくこと、逆にこれができれば、聖書の神話部分と記録部分を弁別することが可能となるのである。
(「はじめに」4ページ)
冒頭から、保守的なキリスト信仰者にはつまずきとなる。「言うまでもなく、聖書は神話部分と記録部分からなっている」。これがまず「骨」である。そういった観点で聖書を読んだことがない人にとって、この記述は驚愕であろう。しかしあえてこの「骨」にかみつこうとせず、すっとやり過ごして本文に向き合ってもらいたい。すると、著者がいかに厳密に当時の時代背景や政治機構に精通しており、その観点から聖書の記述を解釈し直そうとしているかが見て取れるだろう。
第1章は、旧約聖書に登場する「神」と「預言者」の位置付けについて、8節にわたりさまざまな時代を取り上げながら解説している。その際、今まであまりクローズアップされてこなかった「奴隷」という概念を幾つかに区別し、「敗戦奴隷」「拉致奴隷」などさまざまなパターンを解説している。しかもそれをシベリア抑留の憂き目にあった日本兵や、メル・ギブソン監督の映画「アポカリプト」に登場するマヤ族になぞらえて説明してくれるのである。
聖書の出来事を取り上げているにもかかわらず、古田氏の専門分野との関連付け、東洋史や世界各地で今も行われている人間の言動の一例(one of them)として描き出される旧約聖書時代のイスラエルの歴史は、私たちキリスト信仰を持っている者が聖書を読む際の基軸としても用いることが可能である。
第2章はイスラエルがカナンの地に入植し、王国を築く時代が取り上げられている。「情緒的価値判断」を基準にして見るとき、私たちはサウル王が神の前に失格の烙印(らくいん)を押されたため、ダビデ王が立てられた、と捉えることになる。しかし本書では、この辺りはあっさりとこう記されている。
エジプト脱出時代(モーセの時代)→英雄時代→ベニヤミン族の王政時代→ユダ族の王政時代→南北分裂王国時代→滅亡捕囚時代(エレミヤの時代)(23ページ)
下線部分(筆者加筆)のように、サウルからダビデへの移行は、「部族間の権力推移」と見なされているのである。これが、著者が言うところの「(聖書が)科学の名に値するものに近づく」ことを表す顕著な一例である。
こういった視点で旧約聖書を通史的に概観することを求める人にとって、本書はまさに喜びの知らせとなるであろう。
第3章は、南北分裂時代とバビロン捕囚期、その後を扱っているという意味において、異教徒との接触によるさまざまな出来事が取り上げられている。それは言い換えれば、聖書のみに立脚した「神的視点での歴史」ではなく、客観的事実に基づく「歴史的出来事」としてイスラエル史の後半を紐解くことになる。私もまったくノーマークであった聖書の記述や、あまりに至近距離で聖書の言葉を読んでいたが故に見えなかった俯瞰(ふかん)的な視点を、本書から大いに与えられたと思う。
では、著者の古田氏は聖書を社会科学的視点で分析することを通して、何を読者に提示したかったのだろうか。それは決して、聖書やキリスト信仰を否定することではない。この点に関しても、著者自身の言葉を引用しよう。
聖書を一部の人の偏見から解放し、大衆に役立つものにすること、聖書は無知や無明から抜け出し、「大いなるもの」に近づく実用の書であること、これを示すのが本書の目的である。(「はじめに」6ページ)
ここで冒頭の例えに戻るが、本書は決して読みやすくはない。小骨のみならず大骨もそこかしこに存在する。それがあるところでは複雑に組み合わされていて、読み手の意欲を削いでしまうときもある。
だが、そこで放り出すことをしてはいけない。その先に、その次のページに、私たちが長年疑問に思っていたり、訳が分からずに棚上げしたりしていた事柄への解決の糸口が提示されているかもしれないのである。
本書は、秋の夜長にじっくりと時間をかけて読むべき重みのある一冊である。
■ 古田博司著『旧約聖書の政治史 預言者たちの過酷なサバイバル』(春秋社、2020年5月)
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