コロナウイルスの被害が世界で最も拡大している米国だが、またしても人種問題が発生し、大きく揺れている。
去る5月25日、ミネソタ州ミネアポリス市在住のアフリカ系米国人男性のジョージ・フロイド氏(46)が、地元市警察によって逮捕拘束される際、白人警官による過剰な暴行を受けたとして死亡した事件に端を発し、人種問題が噴出した。抗議デモは、ミネアポリスはもとより、全米の大都市や欧州にまで飛び火して加熱した。
今回の抗議活動はこの50年で最大規模のものになったといわれている。その理由の一つは、一般市民によって撮影された8分以上の衝撃的な逮捕動画が、事件後瞬く間に拡散されたからだ。手錠で拘束された無抵抗のフロイド氏の首に、警官の膝が押し付けられ、フロイド氏は「I can’t Breathe(息ができない)」と幾度も訴えるが、その声は何分にもわたって無視され続け、ついには力なく救急車で搬送されたのだ。この映像は多くの人にショックを与えた。
事件の翌日、関わった4人の警官は解雇され、当事者の警官は、第2級殺人罪で起訴され、他の3人は殺人幇助(ほうじょ)の罪に問われている。
一方、この抗議運動が一部極左運動と合流し過激化している。その顕著な例が、米国の建国や歴史に関わる偉人像の撤去や破壊活動だ。これらの偉人が黒人奴隷を所有していたというのがその理由だ。現代の道徳基準を過去に適応して、歴史的な遺産をも葬り去ろうとするのはあまりにも過剰な反応に思える。現代社会の病理の一つは、被害者感情に基づく過剰な権利運動として見ることができる。
神は、羊飼いの少年ダビデを召すとき、「人はうわべを見るが、主は心を見る」(1サムエル16:7)と言われた。
つまり、罪あるこの世では「人はうわべを見る」ものだ。なにも、人種差別に限らず、世はあらゆる差別や偏見で満ちている。外見の容姿や学歴、出自など、個々の人間に違いがある限り、ねたみやさげすみ、偏見や差別などを、まったく根絶することなど不可能だろう。これは人間の罪性に由来するからだ。
それでは、その罪性に真に打ち勝つものは一体何であるか。システムの変更や声高なスローガンなどの外側の変革によって、まったくそれらを駆逐することができるだろうか。否、人間の罪とはそれほど生やさしいものではない。しかし、人にはできないことも神にはできる。100パーセント神の計画によって人類にもたらされた救い主、御子イエスの福音こそは、人を新生させ、内側から変革させる力なのだ。そしてこの福音のもたらす副次的産物は、社会のあらゆる問題の解決にも寄与する。ゆえに福音伝道の使命と意義は甚だ大きい。
聖書はやがて完成する未来を「神ご自身が彼らとともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである」(黙示録21:3、4)と描く。
いつの日か、あらゆる差別、偏見、不正と悪とは、過去のものとして完全に終わる。私たちは、この将来の希望を告白しつつ、すべての問題に最終解決をもたらす福音を宣べ伝えようではないか。私たちにはできなくても「神にはできる」のだ。
米国の混乱が収束し、福音宣教が米国のみならず、世界大で進むよう祈ろう。
■ 米国の宗教人口
プロテスタント35・3%
カトリック21・2%
正教会1・7%
ユダヤ教1・7%
イスラム1・6%
無神論者16・5%
仏教0・7%