東京都渋谷区の中心に位置する代々木公園。東京ドーム11個分と、都内でも有数の広さがある公園だ。1年を通してさまざまなイベントが催される人気スポットでもある。その代々木公園で、12年前から続くホームレス伝道の働きがある。日本だけでなく、海外のクリスチャンも多く関わる超教派のネットワーク「Kokoro Care(ココロケア)」だ。働きに関わるクリスチャンは、教派のみならず、人種や国籍、社会ステータスもさまざま。日本の牧師や一般信徒はもとより、海外から来た宣教師、インターナショナル・スクールの生徒たち、元ホームレスの人、また今もホームレスの人など、本当に多様だ。
通路チャペル
ココロケアの活動の中心は、毎週土曜朝と月曜夕に代々木公園で行っている「通路チャペル」。英語で Sidewalk Chapel と呼ばれるこの活動では、ホームレスの人たちに御言葉を伝え、スモールグループで交流の時を持ち、食事や衣類など実際的に必要な物資を提供している。毎回30~70人くらいのホームレスの人たちが集まり、これまでに多くの人たちが救われてきた。
1月27日に行われた通路チャペルでは、新宿区のバプテスト教会で協力牧師をしているベ・チャンシク宣教師が聖書のメッセージを語っていた。米南部バプテスト連盟(SBC)の国際宣教局(IMB)から派遣されている宣教師で、ヨハネによる福音書8章から、姦淫(かんいん)を犯した女を石で打ち殺そうとしている人々を戒められるイエスの話を伝えていた。
聖書のメッセージが終わると、クリスチャン・アカデミー・イン・ジャパン(CAJ)の生徒たちが中心となって、温かいスープを配る。そして、3つのスモールグループに分かれて、奉仕者とホームレスの人たちが混ざり合いながら、近況やメッセージの感想、祈りの課題などを分かち合っていた。最後まで参加したホームレスの人たちには、フードバンクから提供された食品を小分けした袋も手渡していた。
ベネット宣教師とリュウイチさん
「福音が彼らの心の中に入っていくにつれ、彼らの心が和らいでいくのを見ます。そして数週間後には、『はい、イエス様を私の主として信じます』と告白するのです」。ココロケアで中心的な役割を担っているIMBのマーク・ベネット宣教師は、SBCの機関紙「バプテスト・プレス」(英語)でそう語っている。
SBCは昨年12月、IMBのための年に1度の祈祷週間で、ココロケアの働きを取り上げた。ベネット宣教師は同紙で、ココロケアの「宣教の実り」として、通路チャペルで救われたリュウイチさんという男性を紹介している。通路チャペルで最初に出会ったとき、ベネット宣教師が目にしたリュウイチさんは失意の人だった。それまで顔を向けてくれる人も、声を掛けてくれる人もいなかったリュウイチさんにとって、ベネット宣教師から「リュウイチさん」と名前で呼ばれたことは、大きな衝撃だったという。
初めにヨハネによる福音書を聞かされたリュウイチさんは、その後のめり込むように聖書を読みあさり、半年で聖書全巻を通読した。「彼が持っているのは小さな使い古しの新約聖書ですが、メモ書きと下線でいっぱいです。私たちは座って聖書の学び会をしますが、誰かが質問すると、彼が聖書から教え始めるのです。彼は御言葉を知っており、聖霊が彼を通して働かれています」。ベネット宣教師はそう証しする。
現役ホームレスのクリスチャン
取材で訪れた1月27日と2月17日の通路チャペルでは、説教後にスモールグループをリードする男性の姿があった。増田寿宏さんだ。増田さんはクリスチャンとなった後もホームレス生活を続けているが、渋谷近辺のホームレスのリーダー的存在で、通路チャペルでも説教を度々担当している。
17日のスモールグループでは、自らも新宿駅西口で寝起きしていることを告げ、話を聞くホームレスの人たちは、仲間が語る証しを、時には笑い、時には真剣な表情で聞き入っていた。
「ホームレス生活をしているから強くなるのか、神様に守られているから強いのか、新型コロナウイルスが東京でも広がっているのに、皆さん誰もせきをしていない。そのうち、皆さんの誰かがホームレスに学ぶ健康法など本でも書いて自立できるかもしれません。皆さんも大変かもしれません。しかし例えば、インドでカースト制度の一番下の人たちに福音宣教をする人たちは、差別主義者に殺されそうになりながら私たちよりもっとひどい生活をしているスラム街の人たちを愛し、彼らと共に生きている。皆さんも機会があれば福音のメッセージを心に思いめぐらしてほしい」
そうスモールグループで語った増田さんは、通路チャペルが終わると、集会で使った資材をカートに乗せて、一人倉庫へ運んでいく。それは、これから救われて主にある兄弟姉妹となることを信じて、仲間のホームレスのために淡々と奉仕する一人のクリスチャンの姿だった。
プチ・ホームレス体験
通路チャペルを取材する前、筆者は少しでもホームレスの人たちの心を理解したいと思い、少しばかりのホームレス体験をしてみた。ひげ剃りや風呂を数日控え、なるべく違和感のない服装で、「自分はホームレスだ」と言い聞かせながら、代々木公園で半日ほど過ごしてみたのだ。
土曜昼下がりの代々木公園は、親子連れや散歩をする老人、デートに来たカップル、ジョギングに勤しむ人など、さまざまな人でにぎわっていた。そんな中、「帰る家がない」つまりホームレスの視点から、「帰る家のある」人々を見ていると、恥ずかしかったり、うらやましかったり、悲しかったりと、さまざまな感情が湧いてきた。
代々木公園の西端にある通称「テント村」も訪れた。住人の一人と目が合い、とっさにおじぎをすると、厳しい顔つきをしながらも静かにうなずいてくれた。また、台車を押す別の住人らしき人とも会った。その人は「こんにちは」と声を掛けると、柔らかい笑顔で「こんにちは」と返してくれた。多くがブルーシートで作られたテントは、精巧さも大きさもまちまちで、住人の個性が表れているようだった。一晩野外で過ごそうと考え、テント村近くで数時間寝てみたが、東京の1月の夜は寒くて耐えられるものではなかった。
このプチ・ホームレス体験の翌日、ホームレス伝道の関係者、またホームレス伝道で救われた人たちを中心とした聖書の学びと祈りの集いが近隣の公園であり、そこにも参加した。「この人はホームレス体験するために、昨日、代々木公園で一夜過ごそうとしたそうです」。ココロケア副代表の岡谷重雄さんが、筆者をそう紹介してくれた。「この季節にデビュー戦はきついな。もうちょっと暖かくなってからやったらいいよ」。ココロケアで救われた高木拓さんが、笑いながらアドバイスしてくれた。
救われるまでの壮絶な人生
高木さんは、ホームレスになる寸前のところで通路チャペルに出会い、救われた一人だ。生まれた翌日に亡くなった兄の代わりだと言い聞かされながら、母子家庭の一人っ子として育てられた高木さんは、アイデンティティーの迷いもあり、不良少年時代を過ごした。しかし大人になったとき、母親の様子がおかしくなり始めた。幼児退行したようになったという。祖母に相談し、病院に連れて行くと、双極性障害と診断された。それまで家族の誰も気が付かなかったが、診断を受けたときにはすでに悪化していた状態だった。
20代後半から30代前半まで、病気の母親と一緒に、祖父母の介護をして過ごした。祖父母が亡くなった後は、母親の介護に良いと思い、千葉市内から千葉県内の田舎に引っ越した。しかし、引っ越し後に病状が悪化。異常な浪費をするようになり、1週間に700万円ほど使うこともあったという。このまま一緒に生きてくことはできないと思い詰め、母親を殺して自分も死のうと無理心中を図ったが、殺しきれず、自ら救急車を呼んだ。その後、救急隊員が通報し、病院で逮捕された。
逮捕容疑は殺人未遂だったが、その後、母親の意識が戻ったこともあり、情状酌量により、傷害罪で懲役3年執行猶予3年の判決が下った。執行猶予期間には保護観察が付くことになり、拘置所を出てからは母親と同居しつつ、近くに住む保護司の元に2週間に一度通うことになった。
そうした生活を送っている中、母親の具合が悪くなり、病院に連れて行ったところ、ステージ4の胃がんであることが分かった。がんは体のあちこちに転移し、母親の病状は加速度的に悪化していった。通院による治療が無理になり、緩和病棟に入院することになった。しかし、働きながら母親が入院する病棟に通い続ける中、自宅で転んでしまい、脛骨(けいこつ)と腓骨(ひこつ)を骨折。脚に金属プレートを埋め込む大手術を受け、高木さん自身も4カ月間入院することになった。車椅子に乗って母親の見舞いに通い、回復してやがて松葉杖の使用許可が出るも、母親は亡くなってしまった。葬式は松葉杖を付きながら用意した。相続金もあったが、母親の借金と相殺され手元には何も残らなかった。母親の介護の必要もなくなり、より良い仕事を求めて東京に引っ越し、ただ生きるためにがむしゃらに働いた。
12日間水だけ飲んで死を覚悟
十分な金がなく、金属プレートを取り出す手術をできずに放置していると、プレートが神経に触れるようになり、痛さで仕事もできなくなってしまった。何もできずに、自宅で水だけ飲んで12日間を過ごした。死を覚悟したが、昔テレビで見たホームレスの炊き出し風景をふと思い出した。「公園に行けば、何か食べ物がもらえるかも」。そしてたどり着いたのが、新宿5丁目で虹インマヌエル教会が行っていた炊き出しだった。そしてさらに、そこで出会ったてんかん持ちの生活保護者に紹介され、通路チャペルに導かれることになる。
「確かに、罪人だと言われて腹が立つ人もいます。しかし、自分は逮捕もされているし、確実に罪人。自分を含め、人間というのはまったく信頼できない存在であることははっきりと分かっていました。自分の場合は、先の人生を通して神様がプライドも何もかも砕かれていました。だから福音を受け入れることに何も抵抗はなかったし、自然に入ってきました。気付いたら信じていました」
「お金持ちの人たちよりもホームレスの人たちの方が、心が砕かれやすいのかもしれません。もちろん、かたくなな人も多いですが、自分も変わったので、神様が変えてくださる時が来るのを信じて、毎回同じように福音を語るだけです。世間から見れば、褒められた立場ではないですが、ホームレスの人たちと似たような経験をしてきたので、彼らと同じ目線で福音を伝えたいのです。それが彼らの心が何となく分かる自分に与えられた召命だと思っています。ホームレス、前科者、風俗関係者、母子家庭出身者、精神疾患を患った方々など、現代社会で罪人として扱われたり、普通の人の仲間として扱われない人々のほうを向いてあげたいと思います。主イエス・キリストは罪人の仲間になられたのですから」
ホームレスの人たちから学ぶこと
イエス・キリストも「狐(きつね)には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない」と語っており、時にはホームレスのような生活をしていたのかもしれない。そしてそんな生活の中から、「『何を食べようか』『何を飲もうか』『何を着ようか』と言って、思い悩むな」「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存じである。何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる」という、神に全幅の信頼を置いた言葉が出てきたのかもしれない。
そう考えると、ことらさら彼らに福音を知ってほしいという願いが湧いてきた。またそれと同時に、「働きもせず、紡ぎもしない」野の花のように生活する彼らの生き方から、金や物、地位などさまざまなものに執着して生きる現代人が学ぶことも、非常に多いのではないかと思わされた。そして、ホームレスでありながらクリスチャンだという人たちの存在に触れたことで、自分は果たして彼らを兄弟姉妹として心から受け入れ、「互いに相手を自分よりも優れた者」として認め合い、接することができているのだろうかと自問せざるを得なかった。
取材の最後に、岡谷さんがふと筆者に語った。「ココロケアの目的は、実は2つあるんだ。もちろん、ホームレスの人たちに食べ物や服を提供し、福音を伝えて救いに導きたいというのが一つなんだけど、もう一つあるんだ。日本の教会には、ホームレスの人たちを受け入れないところもある。汚いし、臭いし、子どもに悪い影響があるかもしれないと心配するのもあるし、それは理解できる。ただ、イエス様はそういう人たちも受け入れた。キリストの体である教会が、より完全な形になるためには、ホームレスの人たちも受け入れてほしい。ココロケアの働きに、いろんな教会の人たちが参加してほしい。そうしたら、キリストの体がもっと完全になるんじゃないだろうか」
通路チャペルは、毎週土曜午前7時半~9時と、月曜午後4時~5時半に、代々木公園の南門近くで行われている。また、木曜の正午~1時半には同公園原宿門付近でバイブルスタディを行っている。献金の呼び掛けも行っており、詳しくはココロケアのフェイスブックを。