前回に引き続き、入管訪問ルポ最後となる第3回。今回は、茨城県牛久市の東日本入国管理センターに収容された非欧米諸国出身のクリスチャンと面会した話と、筆者の考えをお伝えする。
知人との待ち合わせに間に合うよう早朝に出発。コンビニで購入した朝食を手に急いだ。都内某所から知人の車に便乗させてもらい、一緒に牛久市に向かった。入国者収容所入国管理センターは全国で2カ所に設置されており、牛久以外には長崎県の大村市に大村入国管理センターがある。出入国在留管理庁がウェブサイト上で公開している両センターの業務内容には「収容・送還」と書かれている。在留資格の申請など他の業務も扱う品川入管との違いだ。実際、面会受付で待っているときに、在留資格関連の手続きをしたいと窓口に来た人がいたが、牛久ではやっていないから品川に行くように言われ、帰っていくのを見た。
業務内容が収容と送還に特化しているため、支援団体が把握している被収容者の名簿も、ページ数が品川入管よりもかなり多い。牛久入管に収容されている人の出身国の特徴は品川と同じで、東南アジア、南米、アフリカ、中東などの非欧米諸国の人が圧倒的に多く、その中で中韓の出身者は非常に少なかった。品川での面会時と同じように、収容者名簿からクリスチャンらしき名前を探し、その人の出身国で英語が公用語になっているかを調べ、面会許可・物品授与許可申出書に記入した。
この面会申出書には被収容者の氏名と国籍を書く欄があるのだが、国籍欄は「中国・韓国・フィリピン・タイ・イラン」の後に空欄があり、その他の国籍を記入できるようになっている。5カ国とも非欧米諸国だ。中国と韓国が先頭に来ているあたりは、昔の被収容者の出身国に中韓が今より多かった様子を感じさせる。中韓ともに国力が上がり、日本との相対的な力関係が強くなったことが、中韓出身の被収容者数が減少した一因なのだろうか。把握されている被収容者の出身国を見渡す限り、相対的に日本より立場の弱い国ばかりだった。
クリスチャン・オフス兄弟
牛久入管の面会で最初に出会ったクリスチャンは、ガーナ出身のクリスチャン・オフス兄弟だった。オフス兄弟はガーナ北端にあるボークという街の出身で、家族は長老派のクリスチャンで自身もクリスチャンだと言った。しかしオフス兄弟は、自分の信仰は強くなかったと語った。ある日、友人が自分のところに来て、あるカルト教団に勧誘した。オフス兄弟の回想によると、それは悪魔的なグループだったという。オフス兄弟はその団体のメンバーになったが、これはキリストを喜ばせるものではないと分かるようになり、彼らから離れた。「その時から、私の人生は本当に困難なものに変わりました」とオフス兄弟は言った。彼らに追い回されてガーナの南部に逃げたが、彼らは国内にネットワークを持っていて、ガーナのどこに逃げてもオフス兄弟を殺害しようとしたという。
オフス兄弟は文部科学省に奨学金を申請し、日本に研修生として来た。日本に来てからは、川越市のアッセンブリーズ・オブ・ゴッドの教会に通っていたという。オフス兄弟の職業は教師で、専攻は教育学。カリキュラムの開発と学校組織マネジメントを学んだという。しかし研究はとても難しく、途中で病気になった。
「その後、私は入管に収容されました。この収容所に来てから3年になります」とオフス兄弟は語った。オフス兄弟がガーナに帰れば、命の危険がある。筆者は、難民認定申請をすでにしたのか聞いた。オフス兄弟は「しました。したのですが、すでに2回難民認定申請を却下され、今3回目の申請の結果を待っているところです」と答えた。
祈りの課題を聞くと、オフス兄弟は「仮放免の許可が下りるように祈ってください」と言った。聖書を読んで励まされた箇所を聞いたとき、オフス兄弟は「ペテロは牢獄にいました。パウロも牢獄にいました。ダニエルも牢獄にいたし、ヨセフも牢獄にいたのです。彼らが牢獄にいたときに、神様は奇跡を起こして彼らを解放させました。彼らはただ理由なく牢獄に閉じ込められたのではないし、自分もそうだと信じています」と語った。
ジェイコブ・シャーフ・アナシ兄弟
「いつも詩篇23編を読んでいます」。ナイジェリア出身のシャーフ兄弟との面会記録がそう始まっていた。彼がどのように部屋に入ってきて、どのようにあいさつをし、会話を始めたのか、筆者は覚えていない。次の面会を待つ間、スマホに必死に記録した内容が全てだ。シャーフ兄弟の家族はカトリックだったが、後にシャーフ兄弟の母親はホーリー・クライスト・チャーチという教派に移っていった。天国に行く前に何か神様のためにしたいと願い、72歳で天に帰る前に教会を一つ立ち上げたという。
シャーフ兄弟は日本に来て大阪で会社を設立し、ビジネスを始めた。中古の冷蔵庫や服などを海外に輸出する事業だった。ある日、シャーフ兄弟は自分の知らない誰かに電話をかけてほしいと友人に頼まれ、電話番号を渡された。その後、警察が来てシャーフ兄弟を逮捕したという。警察は、シャーフ兄弟が犯罪の取引に関与したのだと主張したが、シャーフ兄弟は法に触れるような商品を取り扱ったことは決してないという。警察はシャーフ兄弟の事務所をくまなく捜査したが、何の証拠も出てこなかった。裁判になり、シャーフ兄弟に無罪判決が下った。しかし、名古屋入管はシャーフ兄弟を収容した。
シャーフ兄弟の母親は生前、彼にこう言っていたという。「困難な状況に直面したときは聖書を読んで祈り続けなさい。決して希望を失ったらだめだよ」と。絶望してもおかしくないような状況の中で、シャーフ兄弟の目は絶望を感じさせなかった。シャーフ兄弟は言う。「多くの人は神様のことを知りません。彼らには希望がありません。神様なしでいるというのはとてもつらいことだと私は思うのです」
事務所に帰った後、筆者宛てにシャーフ兄弟の代理人を務めている島村法律事務所の島村洋介弁護士から電話が来ていたと聞いた。筆者が島村弁護士に連絡を取ると、シャーフ兄弟は保証人が決まれば仮放免されるため、現在保証人になってくれる人を探しているのだという。保証人探しに役立てばと、シャーフ兄弟のことを記事に書いて報道すると約束した。(連絡は電話:03・3275・1852、〒103−0027東京都中央区日本橋2−9−4日本橋オフィスビル2階 島村法律事務所まで)
牛久と品川の現実を見て感じ考えたこと
全知全能で義であり愛である父なる神が創造し、今も支える世界に、神に愛されている故に命を授けられ、生かされている自分。その愛を分からず、分かろうともせず、受け入れようともしない人間のために、神の子が人となって十字架にかけられ犠牲になって死に、復活されたことで、神の愛を人間に分かるように示された。このキリスト教の世界観に基づかなければ、人種、国籍、文化、性別、年齢、職業、貧富の差を超えて他者の人権を尊重する心は生まれない。ともすれば、日本に文句を言いにくい、相対的に立場の弱い国の人を、人権などどうでもよいかのように扱うことさえまかり通ってしまう。
入管収容所を訪問して差し入れをし、悩みを聞くこと、法律相談をすること、保証人になること、ありとあらゆる支援をすること、行政を変えようと行政の外から訴えること。これらは全部良いことであり、必要なことだ。また、神はこれらの人々の活動を通して働いておられると筆者は信じる。
ただ、これらはあくまで対処療法であり、応急処置にすぎない。根本治療は得てして、即効性や劇的な変化は見られず、効果のあるなしがよく分からないものが多い。しかし、あえて言いたい。根本的な解決は、伝道を通して、イエス・キリストが愛せと命じた通りに他国の人を愛する心、人権を守る心が、法務大臣に、法務省の全職員に、入管の意思決定者やルール制定者全てに生じたときになされると。
クリスチャンとして、いやクリスチャンだからこそ、自分にできることは何だろうか。礼拝で、教会学校で、学校で、職場で、プライベートな交友でいろいろな人に出会うだろう。イエス・キリストの十字架の死と復活によって示された神の愛を、一人でも多くの人に伝えよう。彼らが救われ、神を愛し、国籍にかかわらず、どんな人であっても同じように愛する人に生まれ変わるきっかけを作ろう。自分がこれからまく福音の種が、現役もしくは将来の入管や法務省の意思決定者の心の中にまかれるかもしれない。そうすれば、デモや諸外国の圧力によらずとも、嫌々ながらではなく自発的に、そして根本的に入管の自由裁量のルールが変わっていくのではないか。
自分の中に、神が全知全能であり、意思決定者らの心も変えてくださる力のある方だという確かな信仰があるか。彼らの心に介入するために、神が教会の一人一人の伝道の働きを用いようとしておられると、自分自身が信じているか。人の心は、他人が束になっていくら強制しても変わらない。しかし、神にはたった一回の夢を通しても、その人の心を変えてしまうことがおできになる。自分は、その神の働きに用いていただくために、本当に用意できているだろうか。福音の種をまくときに、自分の祈りは必ず聞き届けられると信じて祈りつつ、伝道できているだろうか。
入管施設の現実を目の当たりにし、そのように自問せずにはいられない自分がいた。
エピローグ
訪問から帰って新年になり、事務所に一通の年賀状が届いた。米国に10年もいて、年賀状はもう誰ともやりとりしていない。見てみると、はがきを埋めていた文字はアルファベットだった。オフス兄弟からだ。
日付が書いてあったので、オフス兄弟が手紙を書いたのは12月24日だと分かった。しかし、入管職員の追記と思われる「年賀」という文字が切手の下に記してあった。その「年賀状にさせられたクリスマスカード」には、以下のように記してあった。
「メリークリスマス。そして、あなたにとって豊かな新年となりますように。よき知らせを宣べ伝えるため、われらの主キリストが新しく力を得させてくださいますように!」
新約聖書の多数を占めるパウロ書簡の幾つかは、獄中で書かれたものだといわれている。ユダヤ人であるパウロは、言語も文化も宗教も異なる「異邦人」のための使徒と呼ばれた。それは、パウロがクリスチャンとして他国の人を愛し、また、十字架によって死に、復活した神の子イエスが伝えた愛の教えを良き知らせとして伝え広めたからだ。たとえ、絶望してもおかしくないような獄中にいたとしても。
いつ出られるかも分からない、絶望してもおかしくないような牛久の「獄中」から、「われらの主キリスト」の名によって激励の手紙を書く外国人クリスチャンがいることを、日本のクリスチャンに、これを読むあなたに知ってもらいたいと思った。