唐代に書かれた東方景教の弁証論『一神論』について紹介していきます。
『一神論』は、中国宋代(960〜1279)初期に中国敦煌の石室で発見され、京都の富岡謙蔵(桃華)の蔵書となり、1918年に発表されました。これには「喩第二」39行、「一天論第一」132行、「世尊布施論」197行の小三篇が収められています。
1931(昭和6)年に東方文化学院京都研究所から『序聴迷詩所(イエスメシア)経』と合本で発売されました。書名の由来は、巻頭部分の書名は欠けていますが、「一神」の用語が冒頭から幾度も書かれ、一神について論じていることと、「世尊布施論」の末尾に「一神論巻第三」とあることから名付けられたと考えます。
原本は富岡氏から高楠順次郎氏の所蔵となり、現在の所蔵は大阪の武田科学振興財団杏雨書屋となっています。私は2度ほど杏雨書屋に出向いて拝見することができました。
記述年代は「世尊布施論」の末尾に641年とあり、太宗皇帝の貞観14年前後に書かれたと考えます。著者は初代宣教師の阿羅本の側近と思います。なぜなら阿羅本はすでに635年に長安に入り、皇帝に接見していることから、彼ではなく彼の随行者で、景教徒たちが持参してきたシリア語聖書と漢文や中国の宗教文化を理解しているシリア人か、ソグド人の信徒ではないかと思います。
第一作目の「喩第二」は一神による創造論が展開され、冒頭から「万物は一神により、一切の万物は一神の作なり」と、続いて「天には柱がないのにどうして保たれているのか」と問い、それは一神の力であると、創造者の天地の創造と保持について弁証しています。
第二作目の「一天論」は、人の存在論が展開され、仏教や道教用語が多用されています。人には「魂魄(たましいと肉の意味)」、「五蘊(体が5つの要素から成立している)」といった用語が見えます。さらに「悪魔が人を誘惑する」といった悪魔論も見られます。
第三作目の「世尊布施論」にはマタイの福音書6章と7章の部分や、メシアの死と復活の記事も見られます。ところが欠落しているところや、主の祈り、断食や善行部分はありません。世尊布施論とは、世尊である神に布施・施しをすることで、その部分から書き始めているのでその名が付けられたのでしょう。
この書物を親鸞が読んだといわれたことがありますが、悪人が救われるという記事は見当たりませんので、その理解が難しいと考えます。また京都の本願寺に本原書が所蔵されていたとの言い伝えもありましたが、それもあり得ない話です。そのことを付け加えておきます。
「一神論」巻頭部分(不許複製)
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
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