メシアの十字架と復活に関する漢訳記事を紹介します。
弥施訶(メシア)が32歳の時、悪人たちは大王毘羅都思(ユダヤの総督ピラト・ポンテオ)に訴え、大王の前に進んで申しました。
「弥施訶は死罪に当たります。大王よ、彼を追放してください」。彼らは口をそろえて言いました。弥施訶は大王に向かって「弥施訶は彼らの計画で死罪にされています。大王よ、人が死罪に当たるかどうかの処分を、聞きもせず、見もせずに彼らの意見だけで決めないで、自身の判断でしてください」
大王は言いました。「私はこの人を裁くことができない」。彼らは言った「その人が死なないのなら、私たち男女はどうすればいいのですか」。大王は水で手を洗い、彼らの前で「私はその人を裁かない」と言いました。彼らはさらに重ねて言いました。「裁くべきです」
弥施訶はその体を悪人たちに差し出し、一切の民衆のため世間の人々にその人の命がすぐに消える灯火のようであることを知らせ、民衆に自身をささげて身代わりに死なれました。弥施訶はまさに自分自身でついに死なれました。
悪人たちは弥施訶を別の所、丘の上の訖句(ゴルゴダ)と呼ばれた所の木に縛り付けました。そして2人の強盗をその人の右と左に付けました。
弥施訶が木に縛られたのは5時(?)で、これは6日の齋(安息日)の明け方、日が西に沈む頃、四方が闇となりました。地は崩れ、墓の門は開き、死者はみな生き返り、その光景を見ました。
聖書や説教を信じないでいた者たちは、死から復活した弥施訶に対して信心を持つようになりました。すなわち云う・・・・
この箇所はピラトを大王、十字架を木としていますが、メシアへのののしり、侮辱、着衣のくじ引き行為、罪状書、死の叫び、神殿の幕が裂けたとの記事は見当たりません。それは聖書をそのまま記すのでなく、下準備のために書いたのかと考えられます。
本経は「すなわち云う」で終筆となっています。全体の毛筆書体はきれいな筆致で書かれていて素晴らしいと思います。
※ 参考文献
『景教—東回りの古代キリスト教・景教とその波及—』(改訂新装版、イーグレープ、2014年)
旧版『景教のたどった道―東周りのキリスト教』
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