タイの孤児への支援活動を行っているゴスペル歌手の市岡裕子さんがこの夏、7年ぶりに自身2枚目となるアルバム「愛があなたを待っている~Love Is Waiting For You~」をリリースした。市岡さんは、タイ北部チェンマイにある孤児院を11年にわたって支え続けている。孤児院には、エイズで親を亡くし、さらに母子感染により自身もエイズになってしまった子どもたちもいる。1枚目のアルバムをリリースしたのも、売り上げを支援に充てるためで、「愛があなたを待っている」も売り上げの一部を寄付するという。
吉本新喜劇の座長であった故・岡八朗(本名・市岡輝夫)を父に持つ市岡さんがゴスペルに出会ったのは1996年。32歳で2回目の渡米をし、ニューヨーク・ハーレムの黒人教会を訪れたときだった。「神様、私はもうボロボロです。自分の力で生きていけません」。黒人女性が、腹の底から湧き出るような声で歌うゴスペルは、10代で母を亡くし、その後も家族にさまざまな不幸があった市岡さんにとって、まさに自身の心の叫びそのものだった。
市岡さんはその後、ゴスペル歌手としての道に進み、2008年からは自身のミニストリーを立ち上げ、チェンマイの孤児支援を行っている。市岡さんに、アルバムに込めた思い、また人生を変えたゴスペルとの出会いについて話を聞いた。
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――アルバムには、日本語、英語、そしてタイ語の3カ国語で全8曲が収録されていますが、各曲について教えてください。
オリジナル曲は3曲で、タイトル曲「愛があなたを待っている~大丈夫~」がその1つです。私と作家である夫のクレイグ・マーベリーの2人で歌詞を作り、私が作曲しました。過去11年間支援してきたチェンマイの子どもたちのことを祈っていたら、メロディーが上から突然降りてきました。私の信じるイエス様は愛の存在。ですから「イエス様はいつもあなたを待っておられる」という意味を込めて歌っています。
「Be Encouraged」もオリジナル曲です。「Be Encouraged」は、私がゴスペルと出会ったハーレムの教会で、牧師夫人が私を励ますためによく言ってくださった言葉です。3つ目のオリジナル曲「ハレルヤ音頭」は、日本の伝統的な音頭をリズムにし、歌詞をゴスペルにしました。
その他、ハーレムの教会の礼拝で良く歌われていたブラックゴスペルの賛美歌3曲を収録しています。「I Know Who Holds Tomorrow~明日を守られるイエス様~」は、私が以前悩んでいたときに、励ましとなった大好きな一曲です。
ブルースのチューンに乗った「The Blessings」は、ニューヨークのミュージシャン、ドン・ハンソンさんのオリジナル曲。タイ語で歌っている「プルンニー(Prung Nee)~明日~」は、タイのクリスチャンであれば誰もが知っている素敵なメロディーの賛美歌です。タイ語教師の指導を受け、何度も練習しレコーディングに挑みました。
――チェンマイの孤児たちを支援するようになった経緯は?
私はタイが大好きで、これまで80回以上訪れたことがあります。以前は、大好きなタイ料理やマッサージ、プーケットのビーチなどでの休暇や観光のために訪れていました。しかし20年以上前に、プーケットで売春をしている女性と話をする機会がありました。彼女は、父親が麻薬依存症で、母親は体が弱く、弟や妹の生活を守るために売春をしていました。その時、「いつかこの国の女性たちと子どもたちの役に立つことがしたい」と思いました。
ニューヨークから帰国し、関西を拠点にゴスペル歌手として活動し始めたころ、日本とタイのさまざまな牧師先生にご協力をいただき、チェンマイでHIV母子感染の孤児たちを支援している児童養護施設に連絡を取ることができました。2007年に施設を訪問し、何が一番必要かを尋ねたところ、子どもたちの食事や薬、学校の備品などを購入する資金が何よりも必要だと聞きました。そして翌08年に「市岡裕子インターナショナルミニストリー」を立ち上げました。
しかし、日本で献金を募り送るだけでは、支援を継続するのは困難でした。そこで思い付いたのが、CDを自費販売し、その売り上げを寄付に充てることでした。そして2012年に発売したのが、1枚目のアルバム「Amazing Grace」でした。この7年間、アルバムの売り上げ全額を寄付とすることで、チェンマイの子どもたちに多くの支援をすることができました。
――市岡さんの人生の転機となったゴスペルとの出会いについて教えてください。
私は16歳の時、自死で母を亡くしました。それから随分もがき苦しみ、「神様は私のことなんか愛していない」と思って生きてきました。「神様は私に罰を与えた」とさえ思い、罪悪感や恐怖、心配で心がいつもいっぱいでした。32歳になって初めてハーレムの教会でゴスペルを聴いたとき、涙があふれて止まりませんでした。黒人の女性が、お腹の底から歌う「神様、私はもうボロボロです。自分の力で生きていけません。どうかこの手を取って私を導き、家路に連れて行ってください」という内容の歌詞は、「まるで私のことを歌っているようだ」と心底感じました。それは祈りの歌でした。しかしその女性は、その祈りの歌を静かに歌うのではなく、泣き叫ぶように大きな声で歌っていたのです。「私もこのゴスペルを歌いたい! 神様が本当におられるなら、私も助けて導いてほしい!」と思い、それから教会に通い始めるようになりました。
――音楽としてのゴスペルに出会い、その後、そこで歌われているイエス・キリストも信じるようになりました。
聖書や神様の話を聞くのは、その時が初めてではありませんでした。私は教会付属の幼稚園に通っており、子どもの頃からイエス様について、また、お祈りや聖書の話を聞いていました。しかし、クリスチャンの家庭ではなかったので、教会に通うことはありませんでした。ですが、幼稚園時代の恩師である今は亡き武田安子先生とは、その後も親交が続き、随分かわいがってもらいました。母が亡くなってからは、母代わりとしてさまざまなことを教えてくださいました。その中で武田先生は「神様は私たち一人一人を愛しておられる」ということを、常々語ってくださったのです。
そして、本場であるハーレムの黒人教会で歌われるゴスペルを聴きながら、歌詞の中に登場する「Jesus Christ(イエス・キリスト)って一体どんなお方なのだろう?」という疑問と興味が湧いてきたのです。ゴスペルを聴くだけでなく歌う側となり、神への賛美であるゴスペルを歌い続ける中で、徐々にイエス様の愛を感じ、救いを受け入れ、信仰を持つようになりました。今ではどんな音楽の形であっても、素晴らしい主の御名を賛美することが、私にとって心からの喜びとなっています。
――お母様が亡くなられた後、お父様はアルコール依存症となり、吉本新喜劇を退団。親子関係も多くの葛藤を抱えたと聞きました。
人間にとって、親子関係ほど、人格や性格、そして物事の捉え方や感じ方、考え方を形成するのに大切な要因はないと思います。私の父は芸能人でワンマンでした。昭和の典型的な男性で、男尊女卑の考えの持ち主でした。女性は早く結婚して子どもを産み、家庭を守るのが一番という考えでしたから、米国留学をし、貿易会社や領事館で働いていた私は、父の理想の娘ではなかったと思います。私は一度離婚もし、そしてニューヨークに単身で再渡米した際、ゴスペルを歌い始めましたが、そんな私を父は理解し難かったと思います。
母の自死は、私たち家族にとって大きなショックでした。弟は寂しさを紛らわすため、13歳でアルコールに手を付け、その後アルコール依存症となり、30歳の若さで肝硬変のため亡くなりました。母の没後、父も同じようにアルコールの摂取量が増え、依存症に陥りました。そのため、吉本新喜劇を退団せざるを得なくなり、さらに胃がん、脳挫傷に見舞われ、2人目の妻とも離婚と、災難続きの人生でした。
しかし、私が歌うゴスペルを聴くため、ハーレムの教会にまで来てくれました。それがきっかけで、父はもう一度舞台に戻るという夢と希望を持つようになりました。そして、断酒に踏み切った父を支えるため、私は6年半在住したニューヨークでの生活に区切りを付け、日本に帰国しました。父と娘の2人だけの時間が神様によって与えられました。お酒のない生活をする中で、互いを認め合い、尊敬し合い、もう一度、父娘として愛し合うことができたのです。親から認められた私自身も、自信を取り戻すことができました。
神様は私たちにさまざまなタレント(才能)を与えてくださっています。父には、お笑いや喜劇で多くの人を幸せにすること。そして私には、ゴスペル歌手として、また講演講師として人々に希望を与えること。神様が私たちを用いたいと思われている目的がはっきり分かったのです。
――多くのコンサート、講演をされていますが、市岡さんが現代の人たちに一番伝えたいことは何ですか?
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい」(テサロニケ一5:16)
すべての人に、この聖書の言葉の通り、つらい悲しいことがあっても、何か喜びを見つけて楽しみ、自分の力でできないことがあれば、それは主に委ねて祈り、そして与えられているすべてのこと、人々との出会いや交わりに感謝してほしいと思っています。
私も母を亡くしてからは、本当に地獄のような日々を体験しました。しかし神様は、助けてくれる人、励ましてくれる人、勇気をくれる人、愛をくれる人を送ってくださり、さまざまな出会いを与えてくださいます。そして、食べ物や住む家、必要な物資、お金、すべて私たちの必要を満たしてくださいます。つらい悲しいことも永遠には続かないのです。必ずまた、笑顔になれる日が来ます。すべてに変化がやってきます。
神様は目には見えませんが、今日も私たちの前に、横におられ、そして祈りの中で、聖霊様として私たちの内にまで来てくださいます。私たちは、時には神様を諦めますが、神様は私たちを諦めません。忘れません。だから、どうか神様を信じて、希望を持って生きていきましょう。イエス様はあなたを愛しておられます。
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アルバム「愛があなたを待っている」は、オアシス梅田店、オアシス新宿西口店のほか、市岡さんのオフィシャルサイトで販売している。またデジタル音源は、iTunes、Spotify、Google Play Music、Apple Music、Amazon Music で購入可能。