クリスチャントゥデイは2002年の創立以来、多くの皆様に支えられ、今年17周年を迎えることができました。これを記念し、この度「多様性を恵みとして捉える」を全体テーマにした企画を用意致しました。「女性」「高齢者」「青年」「在日外国人」「災害」のトピックスについて、各分野に関わりのある方々から頂いた寄稿を全5回にわたってお届けします。第1回は「女性」について、米ニューヨークで活躍されているゴスペル音楽プロデューサーの打木希瑶子さんに執筆いただきました。
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クリスチャントゥデイの創立17周年記念のため、「海外で活躍する女性クリスチャン」として執筆を依頼されたとき、実は非常に困っていました。大した活躍をしているわけでもないので、読者が期待するようなことは書けないのではないかと思ったからです。書きたいことがまとまらず、毎日祈りながら答えを待っていました。天からピピっと答えが来たのは、お話を頂いてから10日ほどたった頃でした。「その大したことではないことを書けばよいではないか」と。特にビジネス上の成功があったわけではありません。しかし、マイナスからのスタートだった15年間のニューヨーク生活を振り返ると、よくもまだ生きていられたなと思います。そう思うと、神様の恵みに感謝せずにはいられません。そのことを書けばよいのだという結論に達しました。
再婚のため子連れで渡米。半年後からドメスティックバイオレンス(DV)を受け、その後は離婚とDVのダブル裁判に勝ち、夫の友人であるゴスペルシンガーたちからのハラスメント訴訟にも勝ち、シングルマザーとして海外で子育てし、無職&ホームレス状態から起業、子ども虐待防止の「オレンジリボン運動」啓発のために「オレンジゴスペル」を立ち上げ、国連ユース集会の世話人もし、アジア人として初めて全米最大級のゴスペルイベントで審査員に起用され、100年の歴史を持つニューヨークの有名教会で日本語ミニストリー&オンラインでのバイブル研究会を立ち上げた――。私が渡米してからのこれらの出来事を聞いた人は、「本当にあなたは強い人だ!」と言うでしょう。しかし、その間に実は人生最悪の数年間があったこと、信仰を離れ、自殺を考え、うつ病になっていたことは、身近にいた人も家族も長い間知りませんでした。
「神はすべてのことを益としてくださる」。神様は私の最悪の時間を使って、これを私の人生の益へと変えてくださいました。あの時に信仰から一度離れていなければ、今のように心から神様に信頼を寄せることはできなかったと思います。うつ病から立ち直り始めた2009年ごろから、少しずつ私は「本当の信仰とは何か」が分かるようになってきました。そして自分の身に起きたことを糧とし、自分のこの世での役割に向き合えるようになりました。それはまるで、Amazing Grace の歌詞のようです。“I once was lost, but now I’m found. Was blind but now I see.” 今まで見えていなかった神様の恵みを、今は見いだすことができるようになった――。私はやはり、ニューヨークに来なければならなかったのです。神様は、私が日本にいたころには気付けなかったことを、たくさん見えるようにしてくださいました。
この寄稿では、日本とニューヨークで生活してきた経験から、クリスチャンとして、ゴスペル音楽ディレクターとして、また母親、一人の女性として、神様から与えられた気付きを書かせていただきたいと思います。
まず一般的なところで言うと、米国では女性の管理職がとても多いです。私がコンテストで審査員を務めさせていただいているマクドナルド・ゴスペルフェストでも、毎年審査員の3分の1から半分は女性です。銀行、郵便局、行政や公共施設、店舗などで、「スーパーバイザー(責任者)の方をお願いします」と言うと、女性が出てくることも多いです。女性警察官、女性ドクター、女性議員、女性弁護士、女性ジャーナリストなど、女性が社会的に大活躍しています。
クリスチャンとして言うと、キリスト教のコミュニティーが日本よりも大きいこと。当たり前の話ではありますが、米国では教会やクリスチャンの数は日本とは比べものにならないくらい大きいですから、「クリスチャンであることが特別なことではない」ことが日常的に感じられます。まったく知らない人同士でも「God Bless You!」という言葉が日常的に交わされるし、「Thank you, God!」という言葉も日常的に耳にします。
それに「クリスチャン」とひとくくりにはならず、さまざまなグループや団体があり、集まる人種も教会によって違い、礼拝スタイルもさまざまです。日本にいたときの「教会」や「クリスチャン」のイメージは大きく変わり、クリスチャンのコミュニティーの中に選択の余地が広くあることが分かりました。「自分を押し殺すような信仰生活ではなく、自分を自由にするための信仰生活」を知ることができたのも、ニューヨークでさまざまな教会に行き、多様なクリスチャンに出会えたからです。そして、自分が成長できる教会と出会えたことは、大きな宝です。
文化人の端くれとして言うと、本物と偽物の違いに気付けたこと。ニューヨークは世界中の人が憧れる文化・芸術の街です。ここには本物があります。日本で見ていた米国の文化は、やはりしょせんコピーであって、本物ではなかったと思います。それにステージに立つ人間だけでなく、観客も本物です。私は時々、さまざまなコンサートやショーに招待されたり、自分の勉強のために興味のあるものは積極的に観に行ったりします。ブロードウェイの劇場に行っても、カーネギーホールなどのコンサートホールに行っても、ライブハウスに行っても、そこにはいつも違った感動があります。有名・無名にかかわらず、素晴らしいものは素晴らしいと、正しく評価できる本物の観客がそこにいます。そして、ステージの上で自信を持って「オンリーワン」の自分をさらけ出す本物の演者がいるのです。
ファッションやアートの世界もそうですが、聞いたことがないデザイナーやアーティストの作品でも、ニューヨークでは堂々と紹介され、評価されます。有名ブランドは大好きだけど、無名のデザイナーには興味を示さない日本とは違います。ある米国人に「日本人は相当稼ぐんだろうね!だって、あちこちにブランド物の店があるもの!」と言われ、苦笑したことがあります。
「本物を知らないから、本物を評価することもできない」。これが今の私たち日本人ではないかと思うのです。なぜ、そうなってしまうのか。今の日本を見れば、その理由が分かります。それは日本人が「日本の文化芸術に関心が低い」からです。本物がそこにあるにもかかわらず・・・です。
例えば、日本の中学校でダンスが必修科目になったと聞きました。私は素晴らしいことだと思いました。が、なぜかそのダンスはヒップホップ。日本の義務教育でなぜヒップホップなのか、理解に苦しみます。日本舞踊を少し教えるなどした方が、よっぽど国益になると思うからです。実際、私も海外に住むようになって、日本の文化や習慣についてうまく語ることができず、とても恥ずかしい思いをしています。義務教育の中で、日本舞踊、茶道、生け花など、日本の文化を学ぶことができたら、日本人ももっと日本文化の素晴らしさを知り、誇りを持って生きられるのではないかと思うのです。本物の日本文化がそこにあるのに、それを日本人自身が無視している。もったいない話です。
母親として言うと、教育や子育て環境の違いも知ることができました。例えば、学校でのPTA活動は、できる人がやるのが普通。日本にいたときのように、全員参加が強要されることはありませんでした。ボランティア活動に誇りを持って皆さん取り組みますし、自分ができることを積極的にやります。学校の先生も熱心で「教師とはスポーツクラブのインストラクターのようなもの。生徒の目標達成のために仕事をしている」と言って、生徒とランチを一緒に取りながら、補習授業をする先生も普通におられました。
ニューヨークは、13歳まで子どもを一人にすることは許されていません。共働きも多いニューヨークでは、送り迎えをするのも夫婦で役割分担しています。日本のように「子どもの世話は母親」ということはありません。2015年の内閣府の調査では、全国平均で44・4パーセントの男性が「夫が外で働き、妻が家を守ることが理想である」と言っています。日本の子ども虐待の原因は、母親の孤立化であるともいわれています。「ワンオペ」という言葉が、メディアでも使われるようになりましたが、そんな言葉は米国にはありません。母親の孤立は、日本の時代遅れの価値観が生み出したものだと思います。
女性として言うと、米国では女性の人権が広く認められているということです。キャバクラ(女性がホステスとして男性をもてなすお店)は、米国でははやりません。日本では「女性は男性に合わせるべき」という見えないルールがありますが、米国ではありません。米国から始まった「#MeToo(私も)」運動が世界中に広まっても、蚊帳の外にいるような日本とでは、大きな差があることは歴然です。
このように、ざっと上げただけでも、これだけの気付きが私に与えられました。その中で、神様が私に示してくださったメッセージがあります。それは「日本の繁栄には、女性の活躍が必須」だというメッセージです。そして、それは既に神様が日本に示されていると感じています。私は「日本のゴスペル関係者の多くが女性」ということに注目しています。女性に不利な習慣や社会状況があるにもかかわらず、なぜかゴスペル音楽の愛好者やクワイアに参加しているのは、ほとんどが女性です。またクワイアのディレクターの多くも女性です。毎年参加しているニューヨークのマクドナルド・ゴスペルフェストを見ても、米国でさえクワイアのディレクターは圧倒的に男性が多いのです。ですからこの現象は、神様が日本人女性を未来のために用いようとしているように私には見えるのです。
有力な者を無力な者にするために、この世で身分の低い者や軽んじられている者、すなわち、無きに等しい者を、あえて選ばれたのである。(コリント一1:28)
英国の看護師で、近代看護教育の母といわれているフローレンス・ナイチンゲールは、「今年で私は30歳になる。それはキリストが伝道を始めた歳だ。もはや子どもっぽいことは終わりにしよう」という言葉を残しています。彼女は30歳で大人になろうと行動を起こしました。私は恥ずかしながら50歳近くになるまで分かりませんでしたが、ようやく子どもじみた自分にサヨナラをしようと決意しました。
何かをスタートするのに遅いということはありません。私は「神様が日本の女性に光を当てている」というインスピレーションを信じ、日本の女性のために祈っていきたいと思います。私は、日本の女性は知性も忍耐力も世界に誇れるレベルだと思っています。足りないのは「勇気」と「自信」だけだと思います。神様は「わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」(イザヤ41:10)と語ってくださいます。ですから、日本社会がどのような状態であれ、諦めないでほしいのです。
今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる。(ルカ6:21)
力は弱さの中でこそ十分に発揮される(コリント二12:9)
恐れるな。わたしはあなたとともにいる。(イザヤ41:10)
私はこの寄稿を自分の誕生日に書きました。この文章をお読みになった女性が一人でも勇気と希望を持ってくださったならば、またお読みになった男性が今の日本の在り方に何かを感じてくださったならば、それは私にとって最高のバースデープレゼントになるでしょう。最後まで読んでくださった皆さんと、この機会を与えてくださったクリスチャントゥデイに感謝して。God Bless You!
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