本書『ヒップホップ・レザレクション ラップ・ミュージックとキリスト教』は、神学書としても歴史書としても読むべき価値があることは、前2回の記事から分かることだろう。最後に、著者・山下壮起氏からの【挑戦】として、本書を読むことができることを強調しておきたい。それは、第4章第2節「ヒップホップの福音(ゴスペル)」にさりげなく(?)挿入されている次の文章から始まる。
教会における音楽が聖なる音楽、宗教音楽とされ、それ以外の音楽が世俗音楽とされるのは、教会とその外の世界という二元論に立つ価値観が支配的であることを示している。そして、ブルースやヒップホップに宗教的表現が見られること、アフリカ系アメリカ人の若者が救いや実存について問う空間としての機能をそれらが有していることは、宗教性を教会の内だけに限定して考えるべきでないことを表している。(190ページ、下線は筆者による)
これはかなり挑戦的である。同時に、ここに記されていることの本質によって引き起こされた数多くの出来事を私たちは知っている。例えば、「教会の内」を「カトリックの内」と言い換えるなら、これは「宗教改革」を生み出した源流といえよう。19世紀末に聖書の中身をめぐる争いがあったとき、「聖書は聖書で解釈する」というテーゼに対して異を唱えた者たちは「教会の内」を「聖書の内」と言い換え、リベラル神学を生み出した。「教会の内」を「既存教派の内」と読み替えることで、どれほど多くの教派・教団が生み出されてきたことか。
そういった意味で、山下氏がここで訴える【挑戦】は、西洋的キリスト教のみならず、日本のキリスト教界全体、そして保守的な信仰を誇示する福音主義的キリスト教への「問題提起」的な意味合いを持つものである。
山下氏によると、ヒップホップとは、「生への徹底した正直」によって現実を描き出しながら神と対話する方法ということになる。そうなると、私たちが外的に受け止め、自らを正す働きとしての教義や教理というものは後方へ押しやられ、自分たちが現状に対して何を感じ、どう行動したいか、という観点から(自らの意志で)神を見上げることが奨励されることになる。
確かに「リベラル神学」とは、「下からの神学」といわれるように、私たちのリアルな感性と理性を土台として打ち立てられる。一方、福音主義神学に代表される聖書の直解主義、教条主義は、私たちの感覚は信頼できず、むしろ歪んでさえいるため、「正しい教え」が私たちの外部から与えられることで立ち上がれる、と考える。いわゆる「上からの神学」である。
黒人教会を例に取るなら、彼らは奴隷時代の「見えざる教会」の頃には、自分たちの感覚(苦しみ・悲しみ)に基づき、それを開放し、昇華させるために、独自の文化的背景と整合するように白人が伝える「キリスト教」を享受していった。つまり「下から」彼らはキリスト信仰を受け入れたのである。
しかし、不当な苦しみを是正する手段(公民権運動)を見いだしたことで、彼らの一部は米国キリスト教界の一角を社会的な意味においても担う存在となっていった。しかもその変化を生み出したのは、自らが受け入れた「聖なるもの」、つまり既存のキリスト教的教えや聖書的真理に恭順することであった。ややこしい表現となるが、「下から『上からの神学』を受け入れた」のである。
だが、ヒップホップ世代はそうではない。彼らが生まれた時代、彼らにとっては、「初めから『上からの神学』しかなかった」のである。しかも歴史的に見るなら、上から押し付けてくる世代は裕福になり、体制側の言動を繰り返している。一方、自分たちは親世代と同様、不当な抑圧と貧困に苦しめられている。しかも公民権運動以降、「不当な」という形容詞を使えなくさせられてしまった。だから彼らは「上からの神学」に反抗し、自らが求めるものを「下から」見いだそうともがき、ヒップホップにたどり着いたのであろう。
この構図は、決して太平洋の向こう側の特殊な事例ではない。日本の、特に福音派のキリスト教会では、世代間の乖離(かいり)が問題視されて久しい。特に教会から若者がいなくなりつつある傾向は、どの教会でも同じであるといわれている。
その主な要因は、教会で生まれ育った若者が、親たちから信仰を継承しないことにあるとされている。では彼らは宗教的な欲求がないのか? そうではない。彼らと親世代との違いは、まさに「下から『上からの神学』を受けれた」か、それとも「初めから『上からの神学』しかなかった」か、である。
そういった意味で、本書は、現代日本のキリスト教界へ問題提起を喚起する書である。山下氏もまた牧師を生業としていることからするなら、彼は米国の宗教事情ということで、識者へ問題を提起し、同時にキリスト教界、そして(私や山下氏自身を含めた)教会指導者たちに【挑戦】を投げ掛けていると捉えることができるだろう。
山下氏はこの【挑戦】を積極的にこう語る。
ヒップホップをとおして示される実存的な問いかけは、教会の保持してきた固定的な教義の枠組みや思想を超克する可能性を秘めていると考えられる。教会でなければ救いがないのか。教会の内と外という二元論を超えて、救いを語ることができるとき、教会は大きく変わることができるはずである。(199~200ページ)
本書は、米国宗教史における前提を新たにする一冊である。特に公民権運動でフィナーレを迎えたかのような気分に浸っていた者たちに、冷や水を浴びせ掛けるような良書である。同時に、教会における次世代教育、信仰継承、若者伝道などに悩みや苦しみを抱えている人たちにこそ、本書を手に取り読み進めてもらいたいと願う。
本書でいう「ヒップホップ世代」とは、おそらく日本においては、「ジェネレーションZ」(1990年後半~2010年に生まれた世代)に該当するのであろう。彼らのことを知りたい、学びたいと願う者にとっては、必須の一冊といえるだろう。(終わり)
■ 山下壮起著『ヒップホップ・レザレクション ラップ・ミュージックとキリスト教』(新教出版社、2019年7月)
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