辛口ながらも的確な「アメリカ精神史」を詳(つまび)らかにする大作!
時として「出会うべくして出会った」としか表現できない本が存在する。古くは江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ、教員1年目で出会った野口悠紀雄の『「超」勉強法』、そして昨年衝動買いしてしまったロバート・R・カーギルの『聖書の成り立ちを語る都市』(書評はこちら)。
読書量は決して少ない方ではないと思う私にとって、このような「本との出会い」は何にも代えがたい喜びである。そして昨年に続き、今年も年始めにまた「遭遇」してしまったのである。タイトルは『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』。上下巻で800ページ強ある大作である。
著者のカート・アンダーセンは、ニューヨーク・タイムズ紙やタイム誌、ニューヨーカー誌にコラムや評論を寄稿する一方、ニューヨーク・マガジン誌の編集長を務める人物である。
本書は、上下巻で全6部46章から成っている。邦題の通り、アメリカ大陸が発見され移住者が次第に増えていく16世紀から、ドナルド・トランプ大統領が誕生した2017年(原書はこの年に発刊)までの約500年を網羅している。上巻(最初の400ページ)で1960年代まで一気に突っ走ることに驚かされたが、下巻になると、著者が本当に言いたいことが見えてくる。「歴史を網羅しているか」という視点で見れば、決して「歴史書」とはいえないが、「アメリカ精神史」としては、きちんと押さえるべきところを押さえた良書といえる。
著者は第1章「『ファンタジーランド』と化しつつあるアメリカ」で、米国人(彼にとっては母国人)を次のように描写している。
私たちアメリカ国民一人ひとりが、合理と非合理の両極の間をさまよっている。誰もが、合理的に証明できない直感的な考え方や、理屈ではわからない迷信を抱いている。その中でも問題となるのは、客観よりも主観を極端なまでに重視し、意見や感覚を事実並みに真実であるかのように考え、行動する人々だ。
(中略)わが国が奉じる超個人主義は最初から、壮大な夢、あるいは壮大な幻想と結びついていた。アメリカ人はみな、自分たちにふさわしいユートピアを建設するべく神に選ばれた人間であり、それぞれが想像力と意志とで自由に自分を作り変えられるという幻想である。つまり、啓蒙主義の刺激的な部分が、合理的で経験主義的な部分を打ち負かしてしまったのだ。(上巻4~5ページ)
そして彼は母国アメリカをこう表現する。
私たちはいつの間にか、鏡の向こう側の世界、ウサギの穴の先にある世界に来てしまった。アメリカはおとぎの国、「ファンタジーランド」に変わってしまったのだ。(上巻6ページ)
つまり本書は、米国500年の歴史を俯瞰(ふかん)的にひもときながら、その各時代に頻発する出来事を通して、どの時代にも通底する「米国人気質」を抽出することを目指して書かれたものである。
著者が本書で行っていることは、「あらゆるタイプの魔術的思考」「何でもありの相対主義」「非現実的な信念」によって生み出された米国独自の文化・世界観を、理性的で科学実証主義的な見地から批評的に語り直すことである。そして本書を読む者たちの目(特に米国人)を覚まさせたいという強い願いが、全46章の随所に感じられる。
どうしてこのような書物を「神学書を読む」シリーズで取り上げるのか。それは、神学という世界を(半ば強制的に)客観的に見直すことで、従来の視点では得られなかった新たな示唆を得るためである。
著者は、「魔術的思考」「非現実的な信念」の代表格としてキリスト教(主にプロテスタント諸派)を挙げている。つまり米国の宗教性を取り上げ、その在り方の「特異性」を批判的に紹介しているのである。
従来の「米国史」というと、世界史的な出来事を取り上げ、その間を歴史家の解釈で埋めていくというものが主流であった。一方、宗教史というカテゴリーに配される「米国キリスト教史」は、キリスト教という宗教を題材としているが故に、神学的視点から語られ、それを解釈するというのが通常であった。つまり「米国史」と「米国キリスト教史」の間には、重なり合う部分がないとはいわないが、それぞれに描写する専門家が存在し、その色合いをどの程度取り入れて新たな歴史を語るか、という程度の違いしか存在し得なかったのである。
それに対して本書は、「米国キリスト教史」を主要項目の一つに加えながらも、それを従来の神学的視点から語ることをあえて避けているのである。その証拠に著者は「魔術」「非現実的」という言葉で、キリスト教の思考パターンや神学的世界観を一刀両断に切り裂き、突き放した独自の用語と解説を加えている。
キリスト教界が、その世界観を異質に感じる文化・文明に伝えていくとき、かつてのような帝国主義的なやり方では「労多くして功少なし」だろう。どうしても必要になるのは、「キリスト教業界用語」を現地の人々が一般的に用いている言語や用語に「置き換える」作業ではないだろうか。もちろん単なる置き換えですべて事が済むわけではない。しかし、イエスが真理を語るのにたとえ話を用いたように、伝えらえる人々にとって「分かりやすい言葉」「理解しやすい物語」を生み出すことは必要なことである。
本書はこの「置き換え」を見事に行っている。かなり毒気があり、批評的であるため、時々その苦みに顔を歪めざるを得ないこともある。それは否定しない。しかしそこまで神学的世界観を批判的に語ってもらえるなら、そこから私たちキリスト者が福音宣教に用いることのできるアイデアや用語を見いだすことは容易である。
少し大仰な言い方になるが、「神学的世界観の脱構築」のために本書は有用である。脱構築した後、再構築するという前提があるのはもちろんである。
神学的用語で塗り固められた歴史的出来事やその思想変遷を、あえて非神学的思想と言語で語り直すとき、前者に近しいものほど「ハッとさせられる」気付きが多く与えられるはずである。
そういった意味で、ぜひ本書上下巻を手に取ってもらいたい。
■ カート・アンダーセン著、山田美明・山田文訳『ファンタジーランド 狂気と幻想のアメリカ500年史』(上下巻)(東洋経済新報社、2019年1月)
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