まず目に飛び込んできたのは、本書の帯に書かれた衝撃的な言葉である。
「世界最大の宗教をなぜ日本人の99%は信じないのか?」
この問いは、古くて新しい。私が物心付いたとき以来、人間として年を重ねて半世紀以上がたとうとする現在に至るまで、常に日本のキリスト教界で問われ続けてきたことである。
「世界三大宗教」の一角を担い、西洋社会の原動力となってきたキリスト教。1549年に来日したザビエルにより、初めて日本に伝えられたとされるこの宗教は、当時の大名クラスへ浸透し、一時は隆盛を極めた。にもかかわらず、その宣教が遅々として進まないまま数百年がたってしまったのはなぜか。
また、明治期に文明開化が高らかにうたわれる中、多くのキリスト者が日本に生まれたにもかかわらず、その後の教勢が伸びなかったのはどうしてか。
第2次世界大戦以後、欧米から宣教師が大挙して来日したにもかかわらず、「日本のキリスト教人口は全人口の1パーセント未満」というフレーズが廃れないのはなぜか。
このように問い、それに対する回答を幾つか挙げる書物は今までにもあった。だが本書が特徴としているのは、今までの「原因探し」本を踏まえつつも、「そもそも宗教とは何か」、ひいては「人間とは何か」という大きな問いに立ち戻るマクロ的視点を導入しながら、日本宣教の歴史をひもとこうとしている点である。
著者の石川明人氏(桃山学院大学社会学部准教授)は、「はじめに」の中で次のように述べている。
しばしば、キリスト教徒たちは、自分の信仰についてだけでなく、この人はどうか、あの人はどうか、と他人の信仰の有無やその姿勢についてまで気にする。キリスト教史はそういう話の積み重ねだと言ってもいいかもしれない。(中略)では、いったい「宗教を信じる」とはどういうことなのだろうか。自分や他人の信仰の有無を問題にすることにはどんな意味があるのだろうか。そもそも、宗教は「信じる」ものなのだろうか。実は、こういった問いそれ自体が、本書の究極的なテーマでもある。
つまり、究極的にいうなら、本書は「日本固有のキリスト教史」を、その是非を問うことなく描き出すことを目的としている。従来のように「西洋のキリスト教史」を基軸とし、それとの距離を測るような描き方ではなく、良くも悪くも「日本」という国家に伝えられたキリスト教の固有な歴史的展開を描き出そうとする試みである。
その際、善悪の判断を棚上げしているところは注目に値する。そして本書で描き出された「日本固有のキリスト教」は、従来の西洋的なキリスト教に対して逆に鋭い問いを突き付けている。西洋史を中心とした歴史観、その根幹を担ってきた「キリスト教」が、果たして純然たる宗教性を持ち合わせていたのか、ということである。
それを端的に言い表しているのが、第6章1節の表題にもなっている「信徒たちの『信仰』とはいったい何か」である。私たち(キリスト者)は、よく「世の中の人」とか「未信者」という用語を駆使し、日本の現状を語ってきた。しかし本書は、この区別を意味のないものとする。そもそも、「信じる」とはどういうことで、何が理解できると(または理解できなくても)「信者」となれるのか、という抜本的な問いを守備範囲に加え、考察を加えている。
それは第1章から語られる「キリスト教伝来」の物語を、史実と伝説に峻別しようとする姿勢からもうかがい知ることができる。「キリスト教=善」であるなら、それを積極的に推し進めた宣教師を「信仰熱心」な存在と見なすことはいい。しかしその陰で、彼らが実際に何を行い、どんな思考で活動していたのか。それを知る者は多くないだろう。まして著者は、自らを「キリスト教徒」として認識している。そのような立場の者が、キリスト教伝来から現代に至るまでの「日本のキリスト教史」を、アカデミズム的視点と信仰的な言説を切り分けながら語ろうと努力しているのである。真摯(しんし)にキリスト教に向き合おうとする石川氏の姿勢に、私は好感を抱くことはもとより、同じ信仰者として感動を禁じ得ない。
本書は、Christianity や Religion などの用語をどのように訳してきたか、にまで言及している(第5章)。これら翻訳の歴史は一部の専門書で語られることはあったが、このような新書形態でコンパクトにまとめられているものでは、他にあまり見たことがない。そして「訳語」の功罪を踏まえつつ、現在の「キリスト教」「宗教」の在り方を再度問い直そうとしている。
ありきたりの「キリスト教分析本」から相当外れていることは否めないが、現代日本のキリスト教事情を踏まえた上で、斬新な視点から対象を考察しようとする勇気ある姿勢は、同じ信仰を抱く者たちが大いに見習うべき態度といっていいだろう。
本書の帯に書かれた言葉は衝撃的な問いである。しかし本書は、掲げた問いの本質をさらに深めるような形で新たな立脚点を指し示している。そのため、一問一答のような「究極の答え」を求める読者に本書は向かない。しかし「考えるきっかけ」を得たいと思う人にとっては、世界観を刷新するのに大いに役立つ一冊であるといえよう。
■ 石川明人著『キリスト教と日本人―宣教史から信仰の本質を問う』(筑摩書房 / ちくま新書、2019年7月)
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