桜美林大学キリスト教研究所が主催する公開研究会が1月29日、桜美林大学崇貞館(東京都町田市)で開催された。アジア各地のキリスト教についての研究成果を公開することを目的とした第2回目となる研究会では、モンゴルのキリスト教を研究する同大リベラルアーツ学群准教授の都馬(とば)バイカル氏が、「20世紀前半のスウェーデン・モンゴルミッションの宣教活動について」と題して研究発表を行った。
モンゴル出身のバイカル氏は、2008年から同大に勤務し、日本にはあまり伝わってこないモンゴルのキリスト教に焦点を当てて研究を続けている。すでに「モンゴル帝国時代の仏教とキリスト教」や「モンゴルのオルドス地域におけるキリスト教の過去と現在―ウーシン旗の『エルウケン』について」などの論文を発表している。この日は、フビライ・ハーン(1215~1294年)の時代から仏教を国教とし、遊牧生活をするモンゴルの人々に対して、20世紀初頭に行われた宣教活動について、バイカル氏が手に入れた貴重な映像資料を使って報告した。
映像は、バイカル氏が偶然手に入れたもので、その貴重な映像の存在に参加者からは驚きの声が上がった。その映像は音声こそ出ないものの、スウェーデン人の宣教師が自動車で遊牧民たちの暮らすゲルを訪れる様子や、診療所での様子、モンゴルの人々の暮らしぶりが撮影されており、当時の宣教師とモンゴルの人々の交流を見ることができる。バイカル氏は、この中に出てくる人物の子どもや孫たちをすでに探し当て、現地で直接話を聞いているという。
スウェーデン・モンゴルミッションによる宣教活動は1897年から準備が始まった。モンゴルへの宣教に際しては、「勇敢で、最も熱心な宣教師でも、モンゴルでの宣教事業は決して簡単に改革することはできない」とされていたという。バイカル氏はその原因として、言語が分からないこと、遊牧という独特な生活様式であること、また伝染病の問題や、紛争や戦争といったことを挙げた。それでも、1908年夏に宣教所を開所し、そこを拠点として宣教をスタートさせた。
宣教活動の内容は、医療活動、教育活動、キリスト教に関する書物の翻訳と出版で、特に医療活動は、教会と地元住民との交流手段として重視されていたという。バイカル氏はすでに医療活動に関する研究成果を発表しており、その中では、20年に入ってから、フレー(現在のウランバートル)に、スウェーデン・モンゴルミッションが、医師G・オーレンと看護師G・ニルソンという2人の女性宣教師を派遣し、わずか4カ月の間に3千人の患者に対する医療活動を行っていたことを明らかにしている。
22年には診療所用の建物を購入し、診療とともに学校も始め、モンゴル人の宣教師が教師として教えている。また、『旧約要義』『賛美詩歌』『聖教問答』といったモンゴル語翻訳本が出版されたことも確認されている。35年には聖書翻訳が始まり、作業の様子が映像で残っている。スウェーデン人が2人、アメリカ人が1人、モンゴル人が3人参加して本作業は進められたが、モンゴルにはない言葉を翻訳する作業には大きな困難が伴い、試行錯誤の上、聞き慣れた仏教用語を当てはめたりもしたという。
こういった宣教の一連の流れについて、同大キリスト教研究所所長で同大教授の井上大衞氏は「明治学院を創立したヘボンを思い起こさせる。ヘボンも米国長老派教会の医療伝道宣教師として訪日し、ヘボン塾を設置し教育活動を行い、聖書を翻訳している。こういった流れは、当時の宣教の伝統的な形だったのではないか」と述べた。
スウェーデン・モンゴルミッションは、モンゴルに共産党政権が成立した24年ごろから弾圧に遭い、伝染病に苦しめられ、戦後は中国の内戦にも巻き込まれてしまうが、それでも聖書翻訳事業は続けていた。しかし、中華人民共和国が成立すると帰国を命じられ、50年12月にスウェーデンのモンゴルにおける宣教活動に終止符が打たれた。
発表の最後に、民主化運動以降モンゴルでは、信仰する宗教に変化が見られ、特に若者を中心にキリスト教に関心を持つ人が増えてきている現状を伝えた。その一方で真の民主化が社会に浸透しているとは言い難く、さまざまな社会問題が生じ、宗教問題もその一つに数えられていることも明かした。その上で、モンゴル帝国時代、国民の半数がキリスト教徒であったことに注目するバイカル氏は、「移動・遊牧文化を持つモンゴルでは、歴史資料が乏しいが、希少な研究であるキリスト教とモンゴルの関係について今後もさらに調査を進めていきたい」と話した。
次回の公開研究会は、香港におけるキリスト教についての研究報告を予定している。日程などの詳細については、随時同大ホームページで案内している。