1999年10月12日、三浦綾子さんが召された直後、私は教会で行っていた3分間の「テレホンタイムともしび」で、追悼メッセージをしました。その内容は綾子さんの言葉を引用し、短いコメントをして聖句を引用するというシンプルなものです。このことが地元の北海道新聞で大きく紹介され、大変な反響がありました。通常1週間で2、30人の利用者が、この記事が出てから1週間で約950人と激増、多くの方々が聞いてくださいました。これには私自身、本当にびっくり仰天でした。当初数回で終わろうと考えていましたが、あまりにも反響が大きく、やめるにやめられず、結局約10年間「三浦綾子さんのことばと聖書」をテーマにテレホンメッセージを続けることになりました。
さて綾子さんが召されて4、5年後、旭川市の旭山動物園が全国的な話題となりました。旭山動物園は、旭川市郊外にある日本最北の坂の多い小さな動物園で、パンダのような人気のある動物がいるわけでもありません。91年4月に千歳市から旭川市に転任して翌月、国際福音宣教会(OMF)のドイツ人宣教師シュナーベル一家と共に初めて見学しました。天候も肌寒かったのですが、動物たちが狭いおりに入れられて寂しそうな顔をしていて、「かわいそう」という気持ちになってしまいました。あまり魅力のない、ごく平凡な地方の動物園という印象でした。当然入園者が激減し、閉園も検討され始めていました。
しかし、動物を愛してやまない飼育員たちが理想の動物園を14枚のスケッチに描き、市に要望書を提出しました。それによって市議会は閉園ではなく、存続を決議し予算も付きました。そして斬新な魅力あふれる「行動展示」に切り替えてから、動物たちが生き生きと楽しそうに動き始めました。その結果、見学する者たちもハッピーな気分になり、信じられないほど多くの人たちが、国内外からこの小さな動物園に押し掛けるようになりました。ある年の夏には、それまで入園者数が常時日本一であった上野動物園を超え、全国トップになりました。旭山動物園は「奇跡の動物園」と呼ばれ、全国で動物園ブームが沸き起こるきっかけをつくりました。
この「奇跡」を身近で目撃していた私の心の中に、「三浦文学を通じての福音宣教」というビジョンが与えられるようになりました。「難しい、難しい、困難だ」と言われる日本の福音宣教の中にあっても、伝道スタイルやアプローチを変えたら大きな宣教の道が切り開かれるかもしれない。三浦文学を用いたアプローチが、その突破口になるのではないか、というビジョンです。すでに三浦綾子記念文学館や塩狩峠記念館が完成し、前回ご紹介したように、彗星(すいせい)のごとく現れた長谷川与志充牧師による三浦綾子読書会も誕生。さらに一押し、いかにして多くの人々に三浦文学の魅力を伝えたらよいかを考えました。
その一つとして、「星野富弘カレンダー」からヒントを得て、「三浦綾子文学カレンダー」のアイデアが与えられました。そのことを当時札幌の広告会社に勤務していたクリスチャンの実弟に相談しました。このアイデアは会社の企画会議で了承され、三浦綾子記念文学館の了解も得て、一般の広告会社から「三浦綾子文学カレンダー」が全国で販売されるようになりました。北海道の美しい風景写真12枚と綾子さんの珠玉の12の言葉。このカレンダーを部屋に飾ることで、まさに1年365日、カレンダーを見る人たちに綾子さんのメッセージを伝えることができ、好評を得ました。広告会社退職後、実弟は「コミプレース」という会社を設立し、今も「三浦綾子文学カレンダー」の製作販売を続けています。
一方、約10年続けたテレホンメッセージの原稿を、一冊の本として出版したいという願いが与えられるようになりました。出版の願いを込めて、いのちのことば社の編集部に原稿を送りました。ところが1年近く何の応答もありませんでした。諦めかけていたとき、キリスト教書店「オアシス札幌店」の店長だったS兄の助言で、編集部と再交渉でき、ついに綾子さん没後10周年の2009年、『三浦綾子100の遺言』というタイトルで出版することができました。出版社側は、果たして地方の無名牧師が書いたものが売れるのか、とかなり心配したようでした。しかし私の中には、一人の無名の少年が、わずかな食べ物を主イエスにささげたとき、5千人を食べさせたという奇跡が心に強く示されていました。実際出版されて5千人以上の方々に読んでいただき、現在9刷目です。
私の尊敬する中山弘正先生(明治学院大学元学院長)は「いのちのことば」誌(09年12月号)に、次のように書評を書いてくださいました。
本書は、三浦綾子と直接親交があった牧師が、三浦の多数の著書を読み込んだ上で、それらの中から一句を「遺言」としてとり出し、それぞれに見合う聖句と自己のメッセージを述べたものである。(中略)著者の込堂師は、心の問題、自殺願望等々、正直に自らのことも告白しつつ本書を書かれた。著者自身の願望・告白が、三浦綾子の「遺言」と共鳴しつつ、本書を多くの老若男女への主イエスのメッセージとしている。
12年には、東日本大震災で被災した方々を励まそうと、『三浦綾子100の希望』を出版し、私の先祖の故郷(福島県浪江町)の人々が避難している二本松市の仮設住宅にも贈ることができました。
さらに13年には、『三浦綾子さんのことばと聖書 100の祈り』を出版できました。かつては、本を出版することなど想像もできませんでした。特にうれしいことは、この3部作を読んで感動した読者の方々が、家族や友人へのプレゼントとして用いてくださっていることです。さらに全国の多くの公共の図書館に拙著を置いていただいていることも大きな感謝という他ありません。
三浦夫妻との出会いと交流の中で、文筆を通じての働きの道が大きく切り開かれたことを、私自身非常に驚き、ただ主の御名をあがめています。(続く)
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