2001年、長谷川与志充牧師が東京で三浦綾子読書会を創設したのと同じ頃、九州の福岡でも読書会が福岡女学院大学助教授の森下辰衛(たつえい)氏によって始められました。偶然にも同じ年に、2つの読書会が別々に発足したことを知った長谷川牧師と森下氏は、読書会を一つに統合することに決めました。
岡山県出身の森下氏は、山口大学大学院で学び、福岡市のミッションスクール、福岡女学院大学で助教授として日本近代文学を教えていました。大学で太宰治などを教えているとき、学生から三浦綾子の作品をという希望が出て講義に取り入れました。三浦作品の講義をしている中で、学生たちの瞳がキラキラと輝くようになっていきました。
これに内心驚いた森下氏は、1995年に学生たちを連れて、三浦文学の舞台、旭川を訪れ、そこで三浦光世・綾子夫妻と初めて出会いました。三浦夫妻は、遠く九州から来られた森下氏と学生たちを心からもてなしました。学生たちは大感激したようです。
森下氏自身は、22歳という若き日に、死も覚悟したという大病の中で『塩狩峠』を読み、三浦文学と初めて出会いました。その後、山口大学の後輩の女性と結婚。お相手の女性はキリスト者で、森下氏も洗礼に導かれるという経緯がありました。時が流れて2006年、森下氏は大学の研修制度を活用して1年間の予定で家族6人、旭川にやってきました。1年後、大学に戻れば教授の椅子も用意されていました。
森下氏は、旭川に住みながら三浦文学の研究をし、三浦夫妻や旭川の三浦綾子読書会のメンバーとも親しく交流するようになりました。私もその頃、森下氏と初めて出会いました。
小柄ながら、情熱とユーモアのある知的で味のある講演に、大きな魅力を覚えるようになりました。この時期、森下氏が読書会に出掛ける際には、旭川六条教会の会員である村椿洋子さんが送迎用の車を運転していました。そして読書会だけでなく、その車で三浦文学ゆかりの地をあちこち訪れるようになりました。そのうちに村椿さんは「森下先生が三浦綾子記念文学館にもっと関わってくださったら」と願うようになり、密かに「神様、森下先生が1年で九州に帰らず、ずっとここにいるようにさせてください」と祈り始めました。そして何と、森下氏はこの1年の滞在期間中に、旭川に完全移住する決心をしてくださったのです。村椿さんはそのことを知り、自分の密かな祈りが神に答えられたことを「祈りの力の怖ろしさを感じています」と、三浦綾子読書会会報(2018年8月20日号)に寄稿しています。
この辺の経緯について、森下氏は日本経済新聞の文化欄「三浦綾子の原点、友と読む」(『氷点』など題材に全国で読書会、心を伝えることに専念)で次のように述懐しています。
06年、旭川の三浦綾子記念文学館に特別研究員として1年間赴任。それを機に翌年大学を辞職。三浦綾子の心を伝える道に専念することにした。定職を失うことに迷いもあったが、「神様が喜ぶ道を選んで飢え死にするなら、一緒に死にましょう」と妻に言われ、腹が決まった。生活は厳しく、貯金は減り、野原のツクシを大量に採って食べたことも。それでも、私を必要として読書会に呼んでくださる方々がいることが喜びだった。(中略)幼いころに難病にかかり、今も苦しみ続ける40代の男性は、「人間の思いどおりにならないところに、何か神の深いお考えがある」(『続泥流地帯』)という一節に救われたそうだ。「人は苦難に遭うと過去に原因を探す。でも神はその理由を未来にお持ちなんだ」。彼の名言である。(中略)東日本大震災以降、被災者の方々の希望もあり、東北各地で読書会を開いている。仮設住宅に三浦作品を寄贈したところ、「かぶりつくように読んでいる」「綾子さんの言葉に励まされた」と感想をいただいた。三浦綾子は苦難の中に光を見つけた。だから被災地にこそこの国の希望が生まれると私は信じている。
森下氏は、三浦綾子記念文学館の特別研究員として三浦文学を研究するとともに、2011年には三浦綾子読書会の代表に就任されました。以来、毎週のように全国津々浦々を飛び回って読書会や講演活動に専念しています。特に大学生や高校生などの若者たちに『道ありき』の文庫版を無料贈呈して、三浦文学の素晴らしさを伝えています。さらに、北海道聖書学院や旭川医科大学などの授業で三浦文学の特別講義の機会も与えられました。福岡女学院大学で大学生たちと接していた経験が十分に生かされています。それにしても、その超人的な行動力には正直驚嘆するばかりです。
長谷川牧師が東京で開拓伝道するとき、「どのように伝道したらよいでしょうか」と祈り求めました。すると自分の手の中にある「秘密兵器」が、綾子さんの作品であることを示されたといいます。そのことがきっかけで、三浦綾子読書会が誕生しましたが、天の神は、もう一人の「秘密兵器」を九州に備えておられました。
現在の森下氏の存在と活動は、まさに神の備えたもう「秘密兵器」といえます。森下氏の著作や講演活動などを通じて、三浦作品が現代人に生き生きとよみがえり、人々に生きる希望と喜びを提供し続けています。(続く)
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