第40回内村鑑三研究会(『内村鑑三研究』編集委員会主催)が9月17日、今井館聖書講堂(東京都目黒区)で開かれ、関係者ら約60人が参加した。千葉県立流山北高校教諭の藤田豊氏が「鈴木範久先生の『内村鑑三日録』以降の内村鑑三研究」、上智大学神学部特任教授の月本昭男氏が「内村鑑三にみる『良心』の系譜」をテーマに、それぞれの研究成果を発表した。
藤田氏は、『内村鑑三全集』の中でも岩波版には未収録だが、教文館版には収録されている文章や、無教会主義伝道雑誌「教友」と日刊紙「萬朝報(よろずちょうほう)」英文欄に掲載された無署名の文章を精査し、全集収録の文章で内村の著述でない文章はないか、逆に、全集に未収録の文章はないかを検討した研究結果などを発表した。
内村研究の第一人者で立教大学名誉教授の鈴木範久氏がこれまで進めてきた基礎的研究について、「われわれがまだやらなければいけないことがたくさんある。何となくのイメージではなく、こうした基礎的な資料に基づいた研究をしっかりしていかなければいけない」と報告した。
月本氏は、「内村鑑三によるルターの評価が、多くの場合、良心という観点からなされている」と指摘し、「宗教改革を良心という個人の内面の変革として捉える内村の理解は、やはり内村のキリスト教理解ではなかったか」と話した。
ドイツの教会史家カール・ホル(1865~1926)が、内村と同じくルターの信仰を良心という視点から捉えていたことを紹介し、「内村はホルのことを知らなかったと思うが、1917年、宗教改革400年の講演で、ドイツにおいてはキリスト教史の泰斗であるホルが、東アジアの日本においては内村が、ルターによる宗教改革を共に良心という観点から論じたことに不思議な共時性を感じさせられる」と語った。
ルターに関する記述以外にも、「良心によらずして人は神を知ることはできない」「聖書は日本人の良心を育む書物」などの具体的な用例を挙げながら、内村が良心という言葉をいかに重視していたかを説明し、「内村にとってキリスト教の信仰も教義も、良心と切り離すことはできなかった。内村は良心ということにこだわり続けた」と述べた。
良心に当たるラテン語とギリシャ語の単語にはいずれも「共に」という意味が含まれており、「誰と共になのか、明確な語源的説明はないが、良心とは己一人の事柄でなく、神と関わること、また他者に向かうことだけは確か」と指摘。「その大本は、神が最初の人間を創造されたとき、人が一人でいるのは良くないと考えて、人と向き合う、助け合う存在をつくられたという、あのエデンの園の物語にさかのぼるに違いない。内村は、アダムは良心に目覚めた最初の人として描かれている、と述べている」と話した。
「日本人が良心的に生きていくために、どういう言葉を伝えたいか」との会場からの質問に月本氏は、「良心という言葉が、日本において死語になりつつある。学校教育で最も重要なこととして教えているのは何かと考えると、おそらく命の大切さ。でも、なぜ命が大切かということは教えないし、考えさせないできたのではないか。そういう弊害が、今日の日本社会にまん延している気がする。あらためて、良心という言葉で表現しているような、われわれの誰しもが持っている心の働きを育成していくことが、日本においてこれから最も重要なことの一つではないか」と語った。