第33回内村鑑三研究セミナー(『内村鑑三研究』編集委員会主催)が9日、立教大学池袋キャンパス(東京都豊島区)で開かれ、関係者ら約50人が参加した。「戦争の時代におけるキリスト教運動―神の国運動と無教会運動を中心に―」「南原繁の日本的キリスト教構想」をテーマに、愛知教育大学名誉教授で中央学院大学教授の黒川知文氏と聖学院大学教授の村松晋氏が、それぞれの研究成果を発表した。
黒川氏は、戦時下における神の国運動と無教会運動の思想について調べるため、太平洋戦争期を中心に賀川豊彦や塚本虎二、金澤常雄、矢内原忠雄などが当時の信仰雑誌に掲載した文章を分析した。その結果、両運動に共通して、非戦・平和思想、天皇崇敬・国体尊重、大東亜共栄圏の伝道、クリスチャンの戦争参加の思想が見られたという。
非戦・平和思想から他文化批判・自民族優越主義に進み、特定地域のキリスト教化、そしてクリスチャンの戦争参加に至る思想のプロセスは、戦時という国家的危機状況においてキリスト教運動が見せる「普遍的な現象」であり、十字軍やスペインによるアメリカ大陸の植民地化、米国のベトナム戦争にも当てはまると語った。
絶対非戦論者ならば自殺するより他に道はないと記した黒崎幸吉の文章を紹介し、「戦争は参加か不参加しかない。平和の時代においては、政府に対して徹底して反戦平和運動を展開すること。もし戦争の時代が来れば、より積極的に福音を宣(の)べ伝えること。この2つが歴史から学ぶべきことではないか」と話した。
村松氏は、南原繁が主著『国家と宗教』などで必要性を強調しつつも、その内実を十分に説き明かさなかった「日本的キリスト教」について、南原の著述を中心に、知友の三谷隆正や江原萬里の作品にも触れつつ、その構想に迫った。
日本的キリスト教の道徳的基礎として、南原が「武士の精神」を評価している記述はある。しかし、日本的キリスト教が国民的規模で拡大することを視野に入れていた南原が、「武士の精神」だけをその道徳的基礎として評価していたとは考え難く、それ以外の文化・伝統をキリスト教との関わりで評価していたのではないかと村松氏は考えた。
注目したのは、南原が1941年に亡くなった母をしのび、49年に刊行した『母』という作品。当初は非売品として作成し、ごく内輪に頒布したという本書には、「私は母の故によつて、神の愛の無限を思ふこと屡々(しばしば)である」など、自らを育んだ故郷での日々に、キリスト教に通じる世界を見いだして高い評価を与えている叙述がある。
村松氏は、「南原が武士の精神という『台木』の上に成立する日本的キリスト教のみならず、その故郷の善男善女の振る舞いと信仰に『接ぎ木』されたキリスト教、その意味で自らの生活実感に裏打ちされたキリスト教をも想定し、そこに『もう1つの日本的キリスト教』を見ていたことは十分に考えられる」とし、「『平民』を担い手とするキリスト教こそ、南原が日本的キリスト教に託した思い、すなわち国民的規模での広がりという期待とも合致する」と語った。
近年、一部の内村鑑三論で「武士的キリスト教」のみが規範的に取り上げられ、「近代日本」認識や「伝統」理解に思想的な偏りが見受けられると指摘した上で、「三谷や江原にも通ずる『平民』ならびにその生活世界への共感的な眼差しは、南原の思想・信仰を考える上で示唆に富む視座を呈するのみならず、内村論を問いただし得る1つの基盤としても意義あるもの」と述べた。