(3)価値観の転換が求められている
a)日本最大の産業地域「苫東(Tomato)」
北海道地震による被害の大きかった場所は、経済大国「日本」の重要な拠点でした。北海道苫小牧市東部に位置する「苫東(Tomato)」は、総面積1万ヘクタール以上を有する日本最大の産業地域です。日本経済を背負う一流企業の工場が集中している地が揺れたのです。この地域は紙、パルプ工業が突出しています。王子製紙の苫小牧工場は、全国の新聞の紙の約3割を生産しています。石油精製、化学工業、自動車など、多種多様な企業が林立する港湾産業地域です。流通面でも、国際拠点港湾である苫小牧港と、「北海道の空の玄関口」である新千歳空港への優れたアクセスを有しています。
海外にいますと、日本の工業力が一目も二目も置かれていることが分かります。しかしここ数年は、東南アジアや中東などの新聞や雑誌の報道記事で、日本が取り上げられる回数は減少しています。一方、中国や韓国、インドの企業によるインフラ輸出やプロジェクトの記事が目立つようになっています。栄枯盛衰なのか、日本円の価値も威力がなくなってきたことは、海外旅行者にとって肌身に染みてきています。
かつての栄光を忘れがたく、今でも右肩上がりの経済成長へと夢を追い続ける日本の政権の姿が痛々しく映ります。本当の豊かさとは何なのか、自問するのは筆者だけではありません。
今回、日本の経済至上主義の息の根を止める惨事が「苫東」を揺り動かしました。もう成長路線を追い求めることより、ちょっと立ち止まって、民の幸せ、暮らし、人権を考えましょう、と気付かせるシグナルであったのではないかと思わせられます。
b)アイヌの世界観
苫東は、アイヌの聖地がある地域でもあります。1997年10月、この聖地にダムができたときのことです。このダムによって、毎年8月20日に行われていた新造した舟の進水儀式「チプサンケ」の場所が水没してしまいました。
この舟は、樹齢数百年のバッコヤナギで造られる丸木舟で、幅1メートル、長さは10メートル近くにもなります。チプサンケはアイヌにとって非常に重要な儀式であり、その場所を水没させてはいけないとして、ダム建設について、元参議院議員であり二風谷(にぶたに)アイヌ資料館創設者の故萱野(かやの)茂氏らが土地収用の取り消しを求めて裁判を起こしました。
「私はこのダムができれば、沙流(さる)川(アイヌ語「サラ」〔アシの原〕に由来)にサケをよみがえらせたいとの永遠の夢、永遠の願いを完全に閉ざされると思っています。二風谷(アイヌ語「ニプタイ」〔木の生い茂る所〕に由来)には、サケは一匹も上がってこなくなるでしょう。(中略)日本の政府は、なんべんアイヌから土地を取り上げればよいのかと」(萱野茂著『国会でチャランケ』〔日本社会党機関紙局 / 社会新報ブックレット、1994年〕50ページ)
そもそも二風谷ダムの建設調査が始まったのは1970年代。沈滞していた北海道経済の浮揚策として、苫小牧市東部に建設する工業地帯への用水確保が目的でした。ところが工業地帯への進出企業が少なく、分譲予定地の7割が手付かずの状態。結局、ダムの目的は発電や洪水対策に変わってしまいました。それだったらダムは不要だろう、ということです。97年3月、札幌地裁が工事の土地収用を違法と判決したものの、ダムの取り壊しまでは求めずじまいでした。
「わたしはまた、新しい天と新しい地を見た。最初の天と最初の地は去って行き、もはや海もなくなった」(黙示録21:1)には、自然と人間が共生する光景が描写されています。しかし、厚真(あつま)町吉野地区の山は地震により「流体化」し、土砂が山のカラマツをなぎ倒し、36人を窒息死させました。苫東厚真火力発電所の敷地内でも「液状化」が起こり、地震で崩壊した土砂が流れ込み、水をせき止めてできる「土砂ダム」も各地で発生しました。ダムには貯水や発電を目的としたものばかりではなく、土砂災害防止のための「砂防ダム」、洪水調節や農地防災のための「治水ダム」、そして山崩れや土石流などによってできる「土砂ダム」があります。自然災害を目の当たりにするとき、「被造物がすべて今日まで、共にうめき、共に産みの苦しみを味わっていることを、わたしたちは知っています」(ローマ8:22)の御言葉が心に響きます。
神学者パウル・ティリッヒ(1886〜1965)は、「自然は人間の意志と恣意に完全に服従させられてはいないか。この技術文明、人類の高慢が、元の自然、大地、動物、植物の甚大な荒廃をもたらしてきた。それは純粋な自然を小規模に制限してきたのであり、あらゆるものを支配と無情な開発で占拠してきたのである。さらに悪いことに、われわれの多くが自然と共生する能力を失ってしまった」と警鐘を発していました。(Paul Tillich The Shaking of the Foundations [Charles Scribner’s Son, 1948] p.79)
「和解」は紛争している国々、いがみあっている当事者たち、国籍や宗教、膚の色の違いにより修復しがたい対立をしている人々の関係を解決する時に用いられます。しかし、「和解」は「人間」と「自然」の断絶にも用いられるべきです。人間は、環境の汚染、放射能、異常気象などに対して、その責任を認める必要があります。
荒れ果てた地、そこを通るすべての人に荒れ地と見えていた土地が耕されるようになる。そのとき人々は、「荒れ果てていたこの土地がエデンの園のようになった。荒れ果て破壊されて廃虚となった町々が、城壁のある人の住む町になった」と言う。(エゼキエル36:34〜35)。
わたしの与える実りは、どのような金、純金にもまさり、わたしのもたらす収穫は、精選された銀にまさる。(箴言8:19)
わたしは時季に応じて雨を与える。それによって大地は作物をみのらせ、野の木は実をみのらせる。(レビ記26:4)
誰が豪雨に水路を引き、稲妻に道を備え、まだ人のいなかった大地、無人であった荒れ野に雨を降らせ、乾ききったところを潤し、青草の芽がもえ出るようにしたのか。(ヨブ38:25〜27)
雷は「神鳴り」とも書きますが、アイヌ語では「カンナカムイ」と言い、「カムイ(神)が上(カンナ)から鳴らす」に由来します。雷のエネルギーにより、空気中の窒素(N2)と酸素(O2)が結合して窒素酸化物となり、雨の水(H2O)が組み合わさって、硝酸(HNO3)を生成します。そして、この硝酸による硝酸イオン(NO3−)こそが天然の窒素肥料なのです。地球上の植物の成長に必要不可欠なのです。
窒素は空気中に約80パーセントも含まれていますが、ほとんどの植物は窒素をそのままでは活用できません。雷のほか、動物の死体などから亜硝酸菌や硝酸菌が硝酸を生成したり、あるいはクロストリジウムやアゾトバクターなどの細菌が、空気中の窒素を固定化したりすることではじめて、植物も使えるようになります。雷という字は「雨+田」です。雷が作り出す窒素化合物は地球全体で年間3千万トンといわれており、雷は地上の植物にとって必要なものなのです。自然界の創造者抜きには、農耕、牧畜、植林も成功しないことに人類は覚醒しなければならないでしょう。
c)みんなで助け合う血の通ったコミュニティー
厚真町役場で近藤泰行副町長と面談した後、激甚被災地である同町の桜丘、吉野の両地区を訪問しました。厚真ダムへ向かう道路も寸断され通行禁止でした。桜丘地区の家、車、納屋などは土砂で埋没していました。吉野地区の山の反対斜面を所有する今多俊和さん(83)は、農地で野菜を栽培しておられますが、生まれ育った地域の損壊に心を痛めておられました。
北海道の高橋はるみ知事と安倍晋三首相らが、バスで9月9日に厚真町を訪問しました。7月の西日本豪雨では、私たちの方が早く岡山県倉敷市の市立第二福田小学校を訪問しましたが、今回は半日先を越されました。しかし訪問の目的、活動、被災者との「縁」はまったく異なります。
道内の犠牲者41人の内、大半が吉野地区で土砂の下敷きになられて亡くなりました。おそらく本人たちが気付いたときには天国だったことでしょう。
報道関係者は役場で情報を取ると、一斉に吉野地区に集結し、写真を撮ることに専念しました。しかし、吉野地区の裏側にある桜丘地区の手つかずの悲惨な家屋には見向きもしませんでした。従って、テレビでも新聞でも、金太郎アメのような内容ばかりしか、市民には知らされませんでした。
行政が把握していた吉野地区以外にも悲劇はたくさんあるのです。熊本・大分地震の時も、熊本県の益城(ましき)町惣領(そうりょう)には、記者たちはほとんど足を運んでおられなかったのではありませんか。吉野地区ばかりが報道される一方、桜丘地区の全壊の様子には無関心です。桜丘地区でも中田一生さん(76)が亡くなられました。
北海道地震は西日本豪雨同様に激甚災害に指定され、住宅が全壊あるいは半壊した被災者には、最大300万円が支給されることが決まりました。しかし「300万円で自宅を解体して再建せよ、後は自己責任」では、あまりにも無慈悲な仕打ちではありませんか。被災者の苦痛に「共感」せず、オリンピックやリニア中央新幹線、大阪万博など、ぜいたくを追求するときではありません。
福音は、被災し、財産、家屋、所有物を失った貧しい人々に向けられたものです。「目の見えない人は見え、足の不自由な人は歩き、重い皮膚病を患っている人は清くなり、耳の聞こえない人は聞こえ、死者は生き返り、貧しい人は福音を告げ知らされている」(マタイ11:5)。「貧しい人は福音を告げ知らされている」を、日本正教会訳は「貧者は福音す」と訳出しています。
被災者、つまり貧しい人の中でこそ「福音」が生きています。「見失った銀貨」「一匹の子羊」を大切にする神の恩寵(おんちょう)を分かち合う日本に脱皮することを願います。(村田充八著『キリスト教と社会学の間』〔晃洋書房、2017年〕16ページ)。
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2018年は自然災害の多い年です。6月の大阪北部地震、7月の神戸における集中豪雨や西日本豪雨、8月の猛暑に続き、9月に入り、台風21号襲来、続いて北海道の大地震です。
日本が生き残るためには、大胆な価値観の転換が求められています。技術、経済、軍需至上主義ではなく、「田・山・湾の復活」です。里山・田園(たんぼ)・里海を見直すべきではないでしょうか。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい」(ローマ12:2)の「変え」る、つまり変革する時に目覚めなければなりません。「変える」はギリシア語の原語では「メタモルフォー」であり、「メタ(変化)+モルフォー(形作る)」が語源です。外観だけでなく、土壌や大気、地下水などの水脈という目に付きづらい根本から変革しなければなりません。チョウが幼虫からさなぎ、そしてあの美しい姿へと完全に変わるように、日本列島の自然を復活させるべきです。
今は、自衛隊や社会福祉協議会、ボラティアセンターに災害救助を委ねるのではなく、無償・自主・対話性を中心とする「ボランティア道」が開かれる転換点です。2300億円もイージス・アショア(地上配備型迎撃システム)のために予算を組むより、民のいのち、暮らし、人権を守る国になりますように。(終わり)
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