モーセが虐げられていたイスラエルの民を率いてエジプトから脱出したとする「出エジプト記」の記述を裏付けるとみられる遺跡が先ごろ、ヨルダン川付近で見つかった。
出エジプト記は旧約聖書の2番目の書で、その中には古代イスラエル人がエジプトから移住したとする記述が見られる。この記述の歴史的確かさをめぐっては多くの議論がなされており、一部の学者は疑問を呈してきた。
しかし考古学者のラルフ・K・ホーキンス氏とデイビッド・ベンシュロモ氏によると、ヨルダン渓谷にあるキルベット・エル・マスタラフ(Khirbet el-Mastarah)には、出エジプトしたイスラエル人とみられる遊牧民の遺跡があるという。
英デイリー・エクスプレス紙(英語)は9月25日、遺跡が聖書の記述の確かさを裏付ける可能性を示唆するベンシュロモ氏のコメントを掲載した。
「これらの野営地が初期のイスラエル人の時代のものであることが証明されたわけではありませんが、その可能性はあります。もしそうであるなら、これはイスラエル人がヨルダン川の東側から到来し、川を渡ってイスラエルの山地に入ったとする聖書の記述と一致するかもしれません」
ホーキンス氏とベンシュロモ氏は遺跡が鉄器時代のものとみられることから、出エジプト記の時代のものだとする調査結果を、聖書考古学協会発行の科学誌「聖書考古学評論」(2018年7・8月号、英語)で発表した。
両氏は2017年夏に行った調査で、青銅器時代後期(紀元前1400年~1200年)または鉄器時代(紀元前1200年~1000年)のいずれかとみられる石製の遺物や陶器の破片をキルベット・エル・マスタラフの遺跡から発見したという。
両氏は同誌で「2017年度の終わりには、全体が明らかになり始めたヨルダン渓谷の遺跡に驚嘆させられていました。ヨルダン渓谷は、考古学的には最近までほとんど知られていなかった地域なのです」と述べている。
「初期のイスラエルの発展を、わずか約6キロ四方の土地で見ることができるかもしれません。それは(キルベット・エル・マスタラフにある)国内的スケールの文化から、(キルベット・アウジャ・エル・フォクアにある)政治的スケールの文化にまで及ぶものです」
前述のキルベット・アウジャ・エル・フォクアは、ヨシュア記16章5節「エフライムの子孫が氏族ごとに得た領域は次のとおりである。その嗣業の土地の境は、東のアトロト・アダルから上ベト・ホロンを経て」に登場する古代都市「アトロト(・アダル)」と同じ町であることが現地の研究者らによって確認されている。