イエス・キリストの12使徒の1人で、カトリック教会が初代教皇だとするペトロのものとみられる遺骨が、イタリア・ローマにある約千年前に建てられた教会で見つかった。
英テレグラフ紙(英語)によると、ローマのトラステベレ地区にあるカペラ聖母マリア教会で素焼鉢が見つかり、その中から遺骨が出てきたという。素焼鉢は、教会のかなり古い祭壇近くにあった大きな大理石板の下に埋められていた。この教会は構造上の問題で、35年間も閉鎖されたままになっていたという。
遺骨を発見した男性は、イタリア国営のテレビ局「ライウーノ」に、「ペトロ、フェリクス、カリストゥス、コルネリウスという、初期の教皇と思われる名前が刻印されている2つの素焼鉢がありました。私は考古学者ではありませんが、その素焼鉢がかなり古いものだということはすぐに分かりました」と語った。
聖書には、ペトロが3度、キリストを否定したと書かれている。彼はそのことを悔い改めた後、1世紀にローマで「逆十字」の刑を受け、殉教した。
バチカン(ローマ教皇庁)は、今回発見された遺骨をDNA鑑定し、保管されている別のペトロの遺骨と比較してからコメントを発表するとしている。
同紙は、遺骨がカペラ聖母マリア教会に保管されていた理由として、11世紀の教皇ウルバヌス2世の時代に起きた、カトリック教会内の内部抗争との関連を挙げている。
「教皇ウルバヌス2世は一般に正統的教皇と認められていたが、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世の後ろ盾を得て、ローマにおける対抗勢力を確立していた対立教皇クレメンス3世に悩まされていた。バチカンの南部トラステベレにあるカペラ聖母マリア教会は、教皇ウルバヌス2世と密接な関係があり、骨を隠すのに安全な場所と見なされていた可能性がある」
ペトロのものだとされる別の遺骨は13年、バチカンで初めて公開された。この遺骨は1960年代にその存在が公表され、1世紀に暮らしていた60代前半の男性のものとされている。
ペトロの遺骨は死後、バチカンの丘にある墓に埋葬されたと信じられており、カトリック教会の総本山であるサンピエトロ大聖堂は、その丘の上に建てられている。第2次世界大戦後、大聖堂の地下を発掘した折、葬儀した形跡のある遺跡が見つかった。ペトロを称えて作られたひつぎには、「ペトロここに眠る」と読めるギリシャ語の文字が刻印されており、遺骨はその中に入っていた。
この他、今年8月には、イスラエルのガリラヤ湖北岸で、ペトロらイエスの弟子3人の故郷であるベトサイダとみられる町が発見されている。