約1400年前の青銅貨が、エルサレムへ向かう幹線道路の拡張工事に伴い見つかった遺跡の発掘現場で発見された。硬貨は当時、意図的に隠されていたとみられ、考古学者らは、侵略してきたペルシャ軍を逃れたキリスト教徒のものであったと考えている。
硬貨は、東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代後期の7世紀ごろのものとみられ、昨年1月から発掘作業が行われている現場で、イスラエル考古学庁(IAA)によって発見された。
硬貨には、鋳造された時代の東ローマ帝国の皇帝の肖像が刻まれていたため、年代はたやすく突き止められた。今回の場合は、大帝ユスティニアヌス1世(483〜565)、マウリキウス帝(539〜602)、フォカス帝(547〜610)の肖像が刻まれていた。これらは全て、現在のトルコで鋳造されたと考えられており、片面には軍服姿で十字架を担ぐ皇帝の肖像が刻まれ、別の面には硬貨の名称と金額が刻まれていた。
硬貨が発見された場所は、倒壊した2階建ての建物の跡の近く。建物はかつてエルサレムへ向かう巡礼者のためのものであった。現場からは硬貨の他に、古代のブドウ絞り器も発見された。
発掘監督のアネット・ランデス・ナーガル氏は、「硬貨は建物のそばに崩れていた大きな石の間で発見されました」と述べた。「何らかの危機が迫ったとき、硬貨の所有者は、壁の隠されたくぼみに、布の財布に入れた硬貨を隠したのだと思われます。その人はきっと、硬貨を後で取りに戻ろうと考えていたはずです」
考古学者らは、ササン朝ペルシャによる614年の侵略を逃れたエルサレムのキリスト教徒が、この硬貨を隠したと考えている。この侵略は、東ローマ帝国によるエルサレムの支配の終わりを告げるもので、エルサレムは以後、主にイスラム勢力の支配下に置かれることになる。硬貨が隠されていた場所は、今回発掘されるまで放置されており、近くには、東ローマ帝国時代の教会の遺跡もある。
現場は、イスラエル第2の都市テルアビブと、第1の都市エルサレムを結ぶ公道1号線の拡張工事が行われる場所で、遺跡が見つかったことから発掘作業が工事に先立って行われた。公道1号線に資金を提供しているネティブ・イスラエル・カンパニーとIAAは、この遺跡を公道1号線沿いの「風景の中にある史跡」として保護するために協力している。
イスラエルでは、建設作業の前に発掘が行われることはごく当たり前のことで、今日でも古代の数多くの遺物が発見されている。