キリストを知らずに死んだ人はどうなるのか。例えば、鎌倉時代に生きた人は救われないのか。
神は、すべての人類に自然の良心を与えています。ですから、いつの時代の人も、悪事を行えば良心がとがめ、内心でそれを考えると罪を意識します。むろん、その良心に従い、正しく生きようとする人もいます。
その前提のもと、神は一人一人に、その行いに従って報いをお与えになります。忍耐して善を行う者には永遠のいのちを与え、真理に従わないで不義に従う者には怒りと憤りを下されるのです(ローマ2:6~16)。これが大原則です。
聖書の神とキリストの福音を知らないすべての国、すべての民族、現在は知っているが過去の多くの時代には知らずに過ごしてきた諸国・諸民族の人々はこの基準で裁かれます。
従って、鎌倉時代の人々も救われる人がまったくいないわけではありません。もし、どんなうそ・悪口・陰口・だまし・親への逆らい・性的非行・高ぶり・無慈悲・約束を破ったこと、その他、悪事、不義を一つもしてない人がいたなら、その人は永遠のいのちが与えられます。
しかし、これは言うべくして大変難しいこと。鎌倉時代に限らず、いつの時代にも、そういう人はなかなかいないでしょう。これでは救われる人はまことに少ないわけです。
そこで神は、大きな憐れみ(人類への愛)により、原則の例外(特例)を作ってくださいました。すなわち、悪い行いのゆえに、本来神の怒りによって滅びるはずの人々のために、その罪を御子イエス・キリストの十字架の刑で罰し、信じる者に罪の赦(ゆる)しを得させ、神の子とし、永遠のいのちを与えることとしてくださいました。これが福音です。
福音はまことに幸福な音信(おとずれ)であって、滅びるはずの人への特別の恵み、特例措置です。この特例措置は2千年前からキリストご自身の命令に従い、使徒や代々のキリスト者や教会の努力により四方八方に伝えられてきました。
「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」むろん、そうではありません。「その声は全地に響き渡り、そのことばは地の果てまで届いた。」(ローマ10:18)
以来、教会や信徒たちの伝道活動によって、書籍やラジオ・テレビの電波などを通して、聖書翻訳の成果を通して全世界に届けられています。
それでも福音の全然届いていなかった地域や時代があって、そこで生きた人々は、福音を知り得る状態でなかったという人もいるでしょう。それでは不公平だ、という議論が出てくるわけです。そういう人のために、公義の、公平な神は、(神を誹謗したり、あざけったり、敵対したりしたことがなく)善意で、正しく、謙虚で、優しく、平和に生きたけれども、キリストの福音にまったく接したことがなかった、という人のために、憐れみのゆえに、さらに何らかの特例措置をお取りくださることがないとは言えません。この点は、神の愛と正義に信頼してお任せしましょう。
ただし、不公平だというあなたは、福音を知った上でそう言うのでしょうから、信じないこと(従って永遠のいのちにあずかれないこと)に不平不満を言うことはできません。少なくとも、誰か見知らぬ人に福音が届かなかった可能性があるゆえをもって、あなたが信じない理由にはなりません。
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