正しい人でもキリストを信じないと救われないか。
人間の心は深いもの!その深いところを探ってみると、往々にして、いやらしいもの、ずるいもの、密かな敵意や憎しみ、恥ずかしい欲望などが潜んでいるものです。
ここにそういった悪いもの汚いものが一切ない“正しい人”がいたとしましょう。その人が天地の主なる神を信じて生きているなら、その人は文字どおり“正しい人”といえますから、救われます。ところが、その“正しい人”が天地の主である神の存在を(知っているのに)信じることなく生きているなら、(矛盾した言い方ですが)その人は正しい人とはいえません。従って救われません。なぜなら、人は天地の主なる神によって造られた存在ですから、その造り主を無視していいはずがないのです。
人は自分で生まれたのでなく、親たちが造ったのでもなく、神が造ったいのちのシステムを引き継いで生まれた者です。そういう意味で神が造った者です。そういう者が神の造った世界の中で、空気を与えられ、水を与えられ、食物を与えられて成長して生きているわけですから、神を無視すること、神と無関係に生きることはよくない(正しくない)といえるのです。
救いの基準となる善悪は、対人的なものではなく、対神的なものです。他人から見て、あるいは自分から見て“正しい人”でも、キリストを信じて神と和解して良い関係になっていないと救われない、といえるのです。救われるということは、神の子たる資格を得て、究極的には神の国で永遠のいのちにあずかることですから、神の求める要件を充たさなければ救われないのは当然ではないでしょうか。
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