人は善い行いをしないと救われないのか。
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです」(エペソ2:8、9)
人は、なかなか善行ができません。すると、多くの人は救われないことになります。仮に、いささかの善行ができたにせよ、それの何倍かの罪を犯しています。善行は到底、罪を帳消しにするものではありません。また、善行ができた人は自分の力を意識します。それが、自分の行いによって救われるとの誤解を引き起こしています。それは神に対する不遜でもあります。
ですから、その人が自分のありさまをどう思おうとも、神は「行いによるのではない」と宣告しているのです。御子イエス・キリストの十字架の犠牲という恵みの手段を通して救おうとされたのでした。
善行が救いをもたらすのではなく、救われた人が善行をなし得るようになるのです。
救われるために善行をしようと焦る必要はさらさらありません。神が定めた救いの方法をとればいいのです。それは、イエス・キリストが人間の罪の身代わりとなってくださった十字架の犠牲を信じる信仰です。善い行いができなくても、救われるのです。
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