「救い」とは何か。クリスチャンが二言(ふたこと)目に言うが、よく分からない。
救いとは、一般的には窮地とか苦境からの助け出しをいいますが、特に、命の危機にあって死・滅びから免れること、すなわち「救出」を意味します。その場合、滅びも救いも全人生的なものです。
そのうち、究極の救いとは、滅び(ゲヘナでの永遠の刑罰)に入れられることを免れて、からだの復活にあずかり、天の御国で永遠のいのちに生きるものとされることです。それは神が計画され、成就されたキリストの贖罪(しょくざい)のわざによることですが、個々人にとってはそれぞれの地上の人生の間にこれを信じ、受け入れ、罪の赦(ゆる)しを受けておくことが必要なのです。
もしそれができているなら、終わりの時の滅びを免れ、永遠のいのちが定まったこととなるのです。そういう事情から、キリストを信じるに至ることを「救われる」と言い表すわけです。なお、信じることは、その人の主体的な決断でありますが、客観的に見ますと、神の恵みによる面が大きいので、「救われた」という受身形の言葉になるのです。
またそれは、キリストを信じることにより、神との敵対関係が終わって平和な関係となり、神の恵みを受け、導きを受ける人生になったことをも意味します。
ただし、このような意味で救われたとしても、まだ肉体を持ってこの世にいますから、事故や病気など災難・苦難に遭い、痛み・悩み・苦しみが絶えません。罪にもさらされ、肉体の死も迎えなければなりません。従って、その救いはいわば半分の救いであって、抽象的・原理的救いであるわけです。本来の、完全な救いではありません。それを約束された状態なのです。
完全な救いは終わりの時に頂く救いで、救いの具体化といえます。それは、復活により天のからだを頂き、一切の災いから解放され、病気も痛みも悲しみも嘆きもない境地です。積極的に喜び・うれしさ・生きがいの満ちた生活です。それを永遠のいのちともいいますが、永遠のいのちを頂くことが完全な救いです。この完全な救いは、キリストがもう一度この地上に来られて(再臨して)実現します。
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